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2019年12月

【案の定】韓国で「お金がなくて万引きした父親」に拡がる支援の輪……だけども、父親の真の姿は……

韓国・文在寅も心動かした「仁川のジャン・バルジャン」 その正体は?(ニューズウィーク)
昨年12月10日、国際空港のある都市として有名な仁川のとあるスーパーマーケットで、父子(父親34歳、息子12歳)が万引きをして捕まった。盗みの様子を見ていた店員は、すぐに二人を捕まえ警察に通報し、ほどなくして警官2人が到着した。

警官が父親に事情を聴くと、お金が無かったが、どうしてもお腹が減ってしまい、しかたなく牛乳やリンゴなど約1万ウォン(1000円相当)分の食料を盗んでしまったのだという。

体を震わせながら謝罪を続ける父親に警官が詳しい話を聞くと、糖尿病と甲状腺の持病があり、生活保護を受けているが、家族4人を食べさせるのには足りないという。病気のため、6カ月前には務めていたタクシー運転手の仕事を辞めざるをえず、奥さんとはすでに離婚。息子2人と母親を養っていかなくてはならない立場だった。

この父親の事情を聞いたスーパーマーケットの主人は「自分にも子供がいるので気持ちがわかる」と語り、万引きの罪を許すよう警官に伝えた。警官二人はそんな父親の話を涙ながらに聞き、父子を食堂に連れて行ってクッパをごちそうした。

美談はこれだけではなかった。たまたまスーパーマーケットで父親の話を聞いていた一般市民が食堂にやってきて、父親に現金20万ウォン(約2万円)の入った封筒を手渡して去っていった。警官はその後、行政福祉センターを通じて父親に職業あっせんと、息子たちには給食無料カードを手配してやったという。さらにスーパーマーケットからは、この家族に生活用品の寄付をするという申し出もあった。 (中略)

さらには大統領までもが、この家族の事を言及するようになる。事件から6日後、大統領府・青瓦台で行われた首席・補佐官会議にて文在寅大統領は、この父子について触れ、「政府と自治体は市民の温情に頼るのではなく、福祉制度を通じて制度的に(彼らを)助ける道があるのか積極的に探ってほしい」と指示。

さらに、「快く彼らを許したスーパーマーケットの主人、彼らを帰す前にクッパをおごりながら涙を流した警察官、市民の皆さん達の温情は、私たちの社会が希望ある暖かい社会だということを証明してくれた」と語った。 (中略)

しかし、その後ジャン・バルジャンイメージが一変する。12月27日放送された報道番組『궁금한 이야기 Y(気になる話Y)』は、彼の元同級生・元同僚・勤めていたタクシー会社の関係者・常連のネットカフェの主人などにインタビューを行った。そこで出てきた証言によると、「息子の病院に行くお金を貸してほしいと嘘をついてスポーツくじにお金をつぎ込んでいた」「タクシーの売上料金を書き換えて提出された」「そもそも、万引きするのに息子を連れていくとは、理解できない」など、家族思いの父親像が段々と崩れていく。

父親は、この報道番組のインタビューに弁明していたが、「乗客が置き忘れた携帯電話を届けず、そのままネコババして副収入として売っていた」という点に関しては認めた。

注目度が高かった現代版ジャン・バルジャンの美談だっただけに、この衝撃の報道は、多くの人を失望させることとなる。年明けには、この番組を見た多くの支援者たちから支援中止の申し出が続いた。
(引用ここまで)


 貧しい病気の父親が万引きをしてしまった。しかし、空腹に耐えかねての犯行だったのだ。
 温情あふれる韓国人は彼に援助の手を差し伸べた ── というようなストーリーラインの感動ものだったのです。
 ちらっとTwitterでキーワード抜き出して検索したら「日本ではこうはならない」なんていう感想がありましたけども。

 実際にはろくでもない怠惰な運転手でしかなかった、と。
 「案の定」としか思えないのですが。
 そもそもが万引きって手段に出る時点でなぁ……。

 ただ、韓国の福祉は正直なところ貧弱で、世界にも珍しいレベルの小負担小福祉を実践してきています。
 「韓国は福祉がろくでもなくて孤児を輸出している」なんて話、実例が山ほどなかったら信用してもらえんよなぁ、普通。
 フランス国籍の韓国人シェフのいる店がある、という話を聞いた時に「ああ、韓国から輸出された孤児ですかね?」って話をしたら引かれてしまいました。
 フランスで大臣になったフルール・ペルラン氏とかの実例を挙げて誤解を解消しましたが。

 閑話休題。
 なので、こういった困窮した人々も福祉をあてにはできないのですよ。
 でなかったらバッカスおばさんなんて存在するわけないですよね。
 まあ、これが「ひとりあたりのGDPが3万ドルに達した先進国たる韓国」の実際の姿なんだよなぁ……10年前、20年前と社会構造がなにも変わってない。
 一応、この事件を知ったムン・ジェイン大統領は実際の事情がばれる前に「温情によって救われるのではなく、福祉を頼りにできるようにすべき」というコメントを残したとのことですが。
 いつになることやら……。

 で、記事の最後は「日本も人ごとではない。IR構想が進めばこんな人物を生み出してしまうかもしれない」なんて結論に結びつけててアレなのですが。
 それだったら現状のパチンコに言及すべきじゃないんですかね。

なんか3割引きくらいになってんね?
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2016/11/28

「ひとり飯」が拡がらない韓国社会。「ウリとナム」、「競争社会」がついてまわる会食文化が

韓国で「一人ご飯」は損 人脈社会を生き抜く鉄則(日経スタイル)
この日に盛り上がった話題は「一人ご飯」だった。

ジホ君「来日した10年程前、和食店で一人、黙々と食べたり飲んだりする人を見てびっくりしました」 (中略)

ジホ君「一膳飯屋を除けば、韓国の食事どころは『一人ご飯』を想定していないんです。先日、日本の雑誌で、一人焼肉が若者に人気という記事を見かけましたが、韓国では難しいと思いました。食事は単に空腹を満たすものというより、ワイワイみんなで話しながら、人脈を広げ、ビジネスを成功させるためのコミュニケーションの場なんです」

韓国での食事の場は思ったより重要らしい。

ジホ君「韓国は、厳しい競争社会と言われますが、その競争を勝ち上がり、ビジネスで成功するには、積極的な人脈づくりが基本。人脈さえあれば、チャンスは後からついてくると豪語するビジネスマンもいるぐらいです。食事の場で自分を上手にアピールできるか、できないか次第で、出世が決まると信じる人が少なくないのです」
(引用ここまで)

 ちょっと韓国でのひとり飯について解説しましょうかね。
 記事にあるように、基本的には「大人数での会食」が多いのです。
 ここ何年かでようやくひとりで食事できる店、あるいはコンビニをはじめとする中食産業というのも増えてきたのですが、それでも風習と言っていいレベルで根付いているこの食事風景というのはなかなかなくならない。

 というのは、食事の機会というのは「ウリ」の確認であるからなのですよ。
 ウリ=我々という意味ですが、この場合は身内意識ですかね。
 李氏朝鮮時代に朝令暮改が常だった政策に対抗するための、民のレベルでの情報融通がウリの根幹ではなかったのかとも想像しています。
 その起源はどうであれ、韓国社会は「ウリとナム」で成り立っているのはご存じの通り。
 身内(ウリ=我々)かそうでない(ナム=他人)か。
 身内であるものに対しては徹底擁護が原則です。
 韓国では日本の数百倍というレベルで偽証が多い、というのもこの「ウリへの徹底擁護」が原因です。

 で、ひとり飯を貫く人間というのは、誰にとってもウリではない=すべての相手にとってナムなのです。
 なので、この記事がひとり飯から韓国社会の人脈作りの話に移るのも当然のなりゆきと言えるのですね。
 よく「韓国人は奢りあう。割り勘(個別会計)が基本の日本人とは情の深さが違うのだ」って言っている理解度の浅い日本人がいますが。
 あれは「ウリであることの押しつけ合い」に過ぎないのですよ。「今回はおごったのだから、次回はおごれ」=「次に会うことも確定している」ということなのです。
 これについては風習の違い、というだけでどっちがよいとは思いませんが。
 まあ、個人的にはそういった「人脈のための会食」ばっかりの世界なんてのはもっぱらごめんだな。

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韓国憲法裁判官「憲法裁判所所長様に徳で雨がやみました!」……韓国の根本にそういう思想があるよね、という話

「所長様の徳で雨がやみました」発言にざわつく韓国憲法裁判所(朝鮮日報)
 韓国憲法裁判所の劉南碩(ユ・ナムソク)所長を含む憲法裁判所の裁判官9人が昨年11月、忠清南道礼山で行われたワークショップに参加した。裁判官たちはこの日朝からバスでソウルを出発したが、出発の時は雨が降っていた。礼山の修徳寺に着くと雨がやみ、裁判官たちは傘をささずに寺の境内を回った。その後、裁判官たちが別の場所に移動するためバスに乗る時に再び雨が降り出した。するとある裁判官が劉所長に「所長のおかげで(境内を回るとき)雨がやんだようです」と述べ、所長を持ち上げたという。

 この程度の話なら「会社などで上司と部下の間でよくやりとりされる単なる笑い話」ですむのかもしれない。しかし憲法裁判所や一般の裁判所では所長・裁判長と裁判官の間でやりとりされる冗談では済まされないだろう。憲法裁判所長と裁判官は一人一人が憲法機関であり、上下関係に縛られるものではない。この冗談がいかに「通常の慣習に反する」と受け取られたか、今なお憲法裁判所の研究官はもちろん、裁判官経験者の間でも話題に上るほどだ。かつて憲法裁判所研究官だったある弁護士は「憲法裁判所の多くの構成員は、このエピソードを憲法裁判所の現実を象徴するものと受け止めている」と語る。 (中略)

ある元憲法裁判官は「人事が最も大きく影響しているのだろう」と語る。現政権発足後に行われた憲法裁判官人事において、初めて地方裁判所の部長判事が一気に憲法裁判官に昇格するケースや、裁判官の経験が全くない弁護士が裁判官に任命されるケースなどがあった。もちろんさまざまな次元でこのような人事も時には必要との意見もある。しかし法曹関係者の間では「憲法に関する経験や知識などは裁判官の間でもかなりの差がある」との指摘もある。あるベテラン弁護士は「劉南碩所長は裁判官だった時から憲法の専門家として評価が高かったので、憲法裁判所の中ではその発言権が以前の所長に比べて比較的強いのかもしれない」と語る。複数の裁判官経験者は「現政権の人事パターンを考えると、劉所長一人に少しずつ力が集まり始めているのだろう。これについては『憲法裁判所の多様性という面から考えると好ましくない』との懸念がかなり前からあった」と伝えた。
(引用ここまで)


 こういった天候やら災害について無事だったことを、人物に徳があるからというような思想をするのは韓国ではよくあることです。
 とはいえ、こういった話は日本でもままありますし、欧米でも「神のご加護があったのは○○のおかげ」みたいな話もありますが。
 まあ、韓国のそれはやり過ぎ感があるのですよ。

 以前も「セウォル号が沈んだのはパク・クネ政権のせいだ」なんて言われようをしていました。
 この場合は真逆の考えかたですが。
 災異思想、天人相関説ですね。
 人界の治世に問題があると天が乱れ、災害が続出する = 災害が続出するのは統治者に徳がないからだ、ということで革命が起きる。
 で、その革命が為された際には前政権は穢れた政権であるので一切合切を清算する、易姓革命的なやりようにつながるわけです。

 ムン・ジェイン政権が「前政権の積弊清算」をなによりも重要な課題としているのは、こういった思想に沿った考えかた。
 そして、今回の「徳があるから晴れた」というのはその穢れの真逆に位置している発言。徳がある = 天に愛されている = 雨が上がり、晴れ間を見せた、という話になるわけです。
 韓国では儒教が脈々と息づいていることが分かりますね。
 「儒教というフレームだけで韓国を見ると見誤る」というような発言を韓国関連の専門家の誰かTwitterでしていたと思うのですが(出所はちょっとあやふや。木村幹教授かと思って検索してみたら違ってた)、かといって儒教の影響を無視することもできません。

 この場合の「憲法裁判所所長が徳があるので雨が上がり、晴れた」という話を「ちょっとしたジョーク」として看過できないのは、憲法裁判官という知識的にも高位にある韓国人の意識がまだそういうレベルにあるということ。
 そして、件の所長に「皇帝的な権力」が認められる、という意味でもあったりするからです。
 ムン・ジェインの威光を大きく受けている、ということでもあるのだろうなぁ……。

 今上天皇の即位礼正殿の儀の際に儀式本番で雨が上がり、さらに地を這うような虹が出たという話がありましたが。
 あれは「宗教儀式」としてのクライマックスでそういう場面になるから盛り上がるわけで。
 憲法裁判所所長にそういった宗教的要素を持たせるのがいかん、という話です。

トーハクのは見にいこう。
時空旅人 2020年1月号 [雑誌]
三栄
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2019/11/25