朝鮮半島で最大の古代の単一の墓が、新年の始めについに開かれた。考古学者らは5~6世紀の日本の古墳とそっくりな墓の構造に驚き、すぐに土で覆われ再び埋められてしまったことにがっかりした。今年1月、国土最南端の海南(ヘナム)から聞こえた墓の発掘に続く覆土のニュースは、メディアには公開されなかったが、韓国国内の考古学界を騒がせた。
この遺跡は、全羅南道海南(ヘナム)の北日面方山里(プギルミョン・パンサンリ)の長鼓峰古墳だ。6世紀前半のものと推定されるこの墓の外側の墳墓と石室内部が、去年10月から今年2月まで、馬韓文化研究院の発掘調査により約1500年ぶりに明らかにされた。驚くべきことに、石室は日本の九州の外海岸と有明海一帯で5~6世紀に造成された倭人貴族の石室墓と、構造はもちろん墓の内部への入口をふさぐ前に行われた祭祀の跡までほとんど同じだった。 (中略)
「日本の古墳で確認された祭礼の遺物と類似の内容物と配置が注目される」と、チョ・グヌ研究院長は説明した。墓の内部を直接調べた慶北大学考古人類学科のパク・チョンス教授は「九州の倭人の墓に入った時と印象がまったく同じだった」と述べた。 (中略)
長鼓峰古墳は墳墓の長さが82メートル(溝を含む)、高さは9メートルに達する。皇南大塚などの新羅の慶州の大型古墳より大きい韓国国内最大級の墓だ。外見は日本で古代国家が成立する当時の墓の様式である前方後円墳(長鼓形墳墓)の形だ。(中略)日本の右派勢力は、4~6世紀に日本が朝鮮半島南部を支配したという「任那日本府説」を裏付ける物証だと主張した。韓国と日本の学界で、埋葬された人物の出身地が朝鮮半島か倭国かをめぐり大きな議論となった。 (中略)
墓の石室は2月末に再び埋められた。研究院側は「新型コロナウイルスの防疫のための措置で、5~9月に墓の周溝の追加発掘の後に一般公開を推進する」と明らかにした。しかし、一部では発掘による波紋も考慮したものだという見方が出ている。調査内容は、朝鮮半島の前方後円墳の墓の被葬者の議論を再び引き起こす公算が高い。過去20年ほどの間、百済政府の統制を受けた倭人官僚や傭兵という説と、日本に移住し現地の墓の文化の影響を受け帰国した馬韓人または百済人という説など、多くの推測が出された。長鼓峰古墳から九州の古墳と瓜二つの構造と鉄鎧の破片や鉄の矢じりなどの武器類が埋められた事実が確認されたのは、韓国国内の学界に負担になり得る。日本の右派学者が再び任那日本府説の根拠にすることがあり得るという懸念まで出ている。
(引用ここまで・太字引用者)
全羅南道の海南は韓国の地図では左下。KTXの終点である木浦の南。
まさに朝鮮半島の南西の端といったところ。海が近く湿潤気候なので韓国にしては珍しく古代から稲作が行われていた地域でもあります。
古くは任那の支配地域、時代を下ってからは百済の支配地域となった場所ですね。
さて、韓国で存在が判明している前方後円墳は10基ほどで、なぜか木浦あたりからこの海南地域に集中しています。
当初は「日本の前方後円墳の起源が韓国に」として盛り上がったのですが、その後に造成時期が5世紀後半と確定してしまって日本から持ちこまれたことが確実視されています。
日本の前方後円墳は箸墓古墳をはじめとした3世紀以降の造成ですから。
そして、なぜ日本に近い釜山側や、任那の中心地であった南部の真ん中あたりではなく、この南西地域なのか。
あるいは埋葬されている人物も分かっていません。
なにも伝承がないのですね。
ただ、記事の画像を見ても、内部の石積みのやりかたからなにから日本のものと同じ。
単純に「前方後円墳」の外観だけを真似たものではないことが分かります。
さすがにこれだけ材料が揃ってて「日本からの影響ではない」というのは無理。
この規模の土木工事をするくらいの重要な人物が被葬者で、かつこの地域が日本からの影響を受けていたという証拠になるでしょうね。
しかし「日本の右派学者にとっての材料となる」っていうのはなぁ……。
まあ、韓国の歴史学というのはそういうものなのでしょうけども。
2010年に日韓歴史共同研究委員会から出された報告書で韓国側から「任那はなかった」という論文がありまして。
それをもって韓国メディアは「任那はなかった。これは日本側も認めたことで、その論を復活させるなどとんでもない」みたいな言い様をしているのですが。
「歴史学」というものを理解していないのが丸わかり。
彼らの中にある「日本人は韓国からすべての文物を教わった」という設定を消し去りがたいのでしょうね。