相互RSS募集中です

カテゴリ:歴史関連の記事一覧

韓国議員が「伽耶展に『日帝植民史観』が仕込まれている!」と暴露……この記事、面白いですよ

韓国野党議員「中央博物館の『伽耶展』、日帝植民史観を持ってきた」(中央日報)
ペ議員は「任那日本府説に基づいたこの展示を見て(関連)専門家の間で大騒ぎとなった」とし、「展示で問題になった伽耶の年代表をみると、『三国遺事』『三国史記』『日本書紀』などを引用したという。「書紀」とは、日本書紀のことで日本の統治を受けたという任那日本府説を裏付ける日本植民史学者の私書だ。(「私書」と表現したのは)ごまかしだ」と話した。

ペ議員はこの展示が『日本書紀』だけに登場する国家を韓半島(朝鮮半島)の地図に伽耶7国と記したとし、これは韓国内の学説に相反するものとも主張した。

ペ議員は「予算まで増額した展示だが、委員会次元で監査院監査を求める。展示が開催された経緯を明らかにするため、予算支出の内訳を総合監査の前まで伝達してほしい」と求めた。これを受け、国立中央博物館のペ・ギドン館長は「書紀は学界で通称して使う縮約用語」とし「伽耶研究は過去と現在が非常に違う。日本書紀に関する問題は学者の間で見解が分かれる」と答えた。 (中略)

任那日本府説は日本が4世紀後半百済・新羅・伽耶を支配し、伽耶には日本府という機関を設置して6世紀中盤まで直接支配したという日本史学界の主張で、日本が韓半島の植民支配を正当な旧領土の回復として美化する根拠となる。日本の古代歴史書物である『日本書紀』の内容は任那日本府説の中心的な根拠に利用された。
(引用ここまで)


 引用した最初の段落が若干、意味不明になっているのですが。
 これは正確に訳すと──
「展示で問題になった伽耶の年代表をみると、『(三国)遺事』『(三国)史記』『(日本)書紀』などを引用したという。「書紀」とは、日本書紀のことで日本の統治を受けたという任那日本府説を裏付ける日本植民史学者の史書だ。(「史書」と表現したのは)ごまかしだ」と話した。
(引用ここまで)

 ──となります。んで、さらに「(「史書」と表現したのは)ごまかしだ」の部分ですがおそらく、「史書」の部分は「書紀」の言い間違いかなにか。

 展示で年表が飾られていて、そこに「これら年表は『遺事』『史記』『書紀』を引用した」と書かれていたのでしょう。
 で、ペ議員は「展示には『書紀』とだけ書かれているが、これは日本書紀を引用したことをごまかすためのものだ」という話をしているのです。
 それに対して展示を行った博物館側は「書紀というのは日本書紀を意味する短縮語」と話している、ということですね。
 韓国では日本書紀は偽書的な扱いを受けているので。
 その割には日本書紀や古事記にしか記述のない王仁が大好きだったりするのですけどね。

 伽耶の話をするのであれば日本書紀から大きく引拠せざるを得ない。
 三国遺事や三国史記よりも日本書紀の記述のほうが詳しい部分があったりしますからね。
 少なくとも日本書紀からの引用がなければ片手落ちもいいところ。
 「伽耶展」をやるのであれば、古代の倭と朝鮮半島の国々の交流を描かざるを得ない。こういう論争に巻き込まれても当然ともいえます。

   さらに引用中に「伽耶七国云々」という話が出てくるのですが、ここも実は省略されてまして。これは韓国版の中央日報でも省略されている部分なのですが。
 実際は以下のような話になっています。

ベヒョンジン 「中央博物館」の伽耶展、「日帝植民史観を展示。監査を請求する」(聯合ニュース・朝鮮語)
また、「(展示内容を見ると)伽耶七国が登場するが、この「伽耶七国」は三国史記や三国遺事に登場していない地名である。特に多羅国は韓国の歴史学者が日本の北九州の地名と指摘するところである」と付け加えた。
(引用ここまで)

 小国である伽耶地域にあった国々は「五伽耶」「六伽耶」「伽耶七国」等々、連合を組んでいたという記述があるのですが、その中でも「伽耶七国」という表記は日本書紀にしかないものなのだそうですよ。

 で、「伽耶七国」とされている中の多羅国は北九州にあったのだそうです。韓国国内の学説では。
 これはいつものように「日本が朝鮮半島に進出した事実はない」という韓国国内の考えが反映されているものです。
 「伽耶七国のうちひとつの多羅国は日本国内にあった。『日本が朝鮮半島に進出した』のではなく、『朝鮮半島から日本に伽耶が進出した』のである」というのが韓国での学説になっているのです。
 任那日本府の否定にもつながるものといえます。
 すなわち、韓国人の自尊心(実際には虚栄心)を満足させるための学説となっている、というわけです。
 「楽浪郡は朝鮮半島には存在しなかった」っていうアレと一緒です。
 広開土王碑文の偽造騒動と一緒ですね。
 古代の朝鮮半島南部は倭の影響下にあったことは中国の史書等を見てもほぼ確定した史実なのだけどなぁ。

 この記事、個人的にはすごく好きですね。
 韓国人の夜郎自大さがわずかな文章からにじみ出ています。
 あと、この記事の描写からここまで楽しんで解説できるのは楽韓Webだけ、といっても過言ではないんじゃないですかね。
 いやぁ、やっぱり国政監査は宝の山ですわ。

この本が多分すごく面白いと思うのだけども読めていない。横書きは勘弁してほしい。


韓国議員「欧米の博物館で韓国の文化財が日本のものとして扱われている!」と激オコ……そうはいっても韓国の文化財専門家なんてほとんどいないだろうしね……

カテゴリ:歴史関連 コメント:(96)
外国の韓国文化財に「日本文化財」表記多い(中央日報)
外国にある韓国文化財が「日本文化財」と表記されているケースが多いことが分かった。

韓国国会文化体育観光委員会の朴釘(パク・ジョン)議員(共に民主党)は12日、文化財庁の国政監査で、国外の博物館・美術館・図書館などに展示されている韓国文化財の製作国、名称、製作時期などに関する説明が正しくないと指摘した。

朴議員によると、米ミシガン大学の美術館に展示されている韓国の文化財「井戸茶碗」は日本の江戸時代に製作されたと表記され、オランダ国立民俗学博物館が所蔵する韓国文化財の多数は日本文化財と表記されている。 (中略)

12日の国政監査で朴議員は「国外所在という特殊性と国外所在文化財の数量および規模を考慮すると、12人で円滑な業務遂行が可能なのか疑問」とし「海外に誤って紹介されている韓国の文化財情報を正すなど、財団が役割を果たせるよう人員の補充と予算の確保が急がれる」と指摘した。
(引用ここまで)


 あー、まあこれはしょうがないといえばしょうがない。
 先日のフランスの件ドイツの件、そしてメトロポリタン美術館の件、それぞれに共通していることですが。
 韓国の遺物にそれほど興味のある人っていないのでしょうね。
 キュレイターも少ないでしょうし。
 大学の学科でもおおよそ「中国」「日本」「その他アジア」でまとめられているというのが実際。
 東アジアに関しては「中国でなければ日本だ」くらいの扱いになるのでしょう。
 韓国人の自尊心(実際には虚栄心)はそれを許さないのでしょうが、欧米人にその分類をきっちりやれっていうのはしんどい話ですよね。

 あと井戸茶碗についてはちょっと違う。
 李氏朝鮮の日常で用いられる器に美を見いだしたのは日本の茶人ら。
 侘び寂の概念に基づいた美の存在がそこにあることを見いだしたのは日本の茶人であって、これについては日本の美術品と言っても過言ではない。
 というか、井戸茶碗を美術品として展示する場合、その経緯を説明することなしには美術品として成立しないのですよ。
 そうでなければただの古い器にすぎない。

 韓国でも「世界で評価されていたのならそれは韓国のものだ」「李氏朝鮮でも美術品として作られたんだ」くらいのことを言い出している連中もいたりするのですが。
 歴史修正主義者ですよね。


韓国与党をはじめとした左派「ペク・スンヨプ将軍などチンイルパだ。墓を暴くのがふさわしい!」→韓国国防部「将軍は韓国を救った方だ」……さーて、そのコメントいつまで言い続けられるかな?

【独自】韓国国防部「ペク・ソンヨプは国を救った方」…金元雄の主張に反論(朝鮮日報)
 6・25戦争当時の故ペク・ソンヨプ将軍の功績をおとしめた金元雄(キム・ウォンウン)光復会長の発言に関連し、韓国国防部(省に相当)が「故人は危機に直面する国を救った方」だと正面から反論したことが25日に確認された。報勲団体を束ねる国家報勲処も同じく25日、金会長の発言に関して第1次の口頭注意を与えたことを明らかにした。安全保障・報勲関連の部処(省庁に相当)が同時に金会長へ警告メッセージを投げ掛けたのだ。

 国防部は、保守系最大野党「未来統合党」の金度邑(キム・ドウプ)議員室に提出した書面答弁で「故ペク・ソンヨプ将軍は6・25戦争当時、多富洞の戦いをはじめとする多数の戦闘を勝利に導き、危機に直面する国を守った」とし「(故人が)国軍最初の四つ星将軍として陸軍参謀総長を2度務め、軍と韓米同盟の発展に貢献したのは事実」と表明した。金元雄会長の発言に対し、初めて公式見解を明かしたのだ。 (中略)

国防部の鄭景斗(チョン・ギョンドゥ)長官は25日、韓国国会で「(一部が)日本軍に身を置いていたことも事実だが、功罪は歴史的に評価すべきだ」とし「(彼らが)6・25戦争に参戦して国を危機から救い出した部分もある」と答弁した。

 朴三得(パク・サムドゥク)国家報勲処長も25日、国会政務委員会で「金会長に是正を要求すべきではないか」という質問に対して「第1次の、口頭で注意を与えた」と答弁し、さらに「14の報勲団体があるが、(金会長は)団体間の衝突を引き起こしたり国民統合を阻害したりする話が多い」と発言した。ところが金会長は「(口頭警告を受けるだとか)そういうことはない」と否定した。

 金会長や一部与党議員が「国立顕忠院でペク・ソンヨプの墓を掘り起こそう」と主張していることについて、国防部は「ペク将軍は武功勲章を授与され、『国立墓地の設置および運営に関する法律』により国立墓地埋葬対象に該当し、大田顕忠院に葬られた」として「墓を掘り起こせる法的根拠はない」と一蹴した。顕忠院への埋葬資格を巡る論争に関しても、国防部は「故人の功績と現行法を考慮すると、顕忠院への埋葬は妥当」とした。

 韓国政界からは、ペク将軍に関する国防部の見解表明が政権勢力への「反旗」と映りかねない、との見方も出ている。金会長の光復節記念演説が物議を醸すと、民主党の党指導部候補者らは一斉に「光復会長として言えること」「記念演説を深く刻みたい」と擁護した。金度邑議員は「国防部は至極常識的な話をした」とし「英雄を英雄と語る国防部に、政権勢力がどんな報復を加えるのか見守りたい」とコメントした。
(引用ここまで)


 8月15日の光復節演説で、ヅラキム・ウォンウン光復会会長がペク・ソンヨプ将軍の功績をこき下ろして「本来なら死刑」「有功者墓地に埋葬されたのは間違い。墓を掘り起こすべき」といった発言をしていたのですね。
 「チンイルパには死を!」くらいのことを言い続けていまして。
 済州道知事はこれに反論してほぼアドリブで「朝鮮戦争で戦った韓国軍所属の軍人には旧日本軍所属の人々もいた。功罪の両方を冷静になって見るべき」と反論。
 結果、知事は政権支持派から辞職を求められるなどぼっこぼこに叩かれています
 記事の最後にあるように、与党所属の国会議員や党代表候補あたりからは「キム会長は素晴らしい演説をした」みたいな扱いになっています。

 これ、かなり象徴的なお話なのです。
 以前から「ペク・ソンヨプ将軍は左派から疎まれている」という話は聞いてたのですよ。
 ですが、本当に「大将軍」と呼んでよい人物で。
 ざっくりとでも朝鮮戦争の戦記なりなんなりを読んだことがあるのなら「韓国にこんな人がいたんだ……」ってなるくらいの人物。
 っていうか、この人がいなかったら韓国人の大半は生まれていないか、軍事境界線が37度線あたりになってて釜山が韓国の首都になってても不思議がない。というか、「韓国」という国がなかった可能性すら充分にある。
 それくらいの「大将軍」です。ちなみに自著は日本語で書いていたとの話。

 なので「まあ、嫌われているといってもほんの一部から『満州軍にいたことを忘れるな』っていわれているくらいだろうなぁ……」と思っていたのですが。
 さにあらず。
 政権支持者の大半からは完全否定。NAVERニュースのコメントも辛辣なものが多く「死んだら日本で埋葬してもらえ」「顕忠院(国立有功者墓地)ではなく靖国神社に行け」みたいなコメントが延々とされていた……というような状況。
 正直、ちょっとショックでしたね。
 あれほどの功績のある人物 ── 新任の在韓米軍司令はすべて面会に来るほどの英雄 ── であっても「満州国軍にいた」ということが、チンイルパとしてそこまでの罪になって功績を完全に塗りつぶすほどのものになっているということに。

 今回、軍と国防部からは「ペク・ソンヨプ将軍は国を救った方」というコメントが出てきたのはうれしいことですが。
 さすがに憤懣やるかたないというか、なにか政権に気にくわないことがあったら彼らもそういう扱いを受けるとしたらやるせない話ですからねぇ……。
 ただ、このコメントをいつまでしていられるかも気になるところ。
 与党側から叩かれなければよいのですけどね。

韓国メディア「日本は朝鮮半島を身代わりにして分断を避けたのだ」……いや、それを望んだ指導者が朝鮮半島に二人いたからだよね?

カテゴリ:歴史関連 コメント:(203)
タグ: 南北関係
[寄稿]日本の代わりに朝鮮半島が分断された理由(ハンギョレ)
 なぜ敗戦国の日本ではなく、朝鮮が分断されたのか。朝鮮民族なら誰もが一度はこのような疑問を抱いたはずだ。8月15日を「解放の日」として記念するには、まさにその日から始まった分断があまりにも無念だからだ。民族の言葉と文字は取り戻したものの、千万の家族が生き別れとなり、国中が世界的な戦場となった歴史が無念で、今日まで続く緊張と対立が無念なのだ。この歴史の皮肉は偶然だったのだろうか。最近の諸研究は、極秘扱いが解除された記録を通じて当時の状況を明らかにしつつある。

 戦争に勝利した連合国は、敗戦国ドイツのように日本を分割占領することにした。1945年6月にドイツの分割統治が始まり、次は日本の番であった。7月のポツダム会談で米英中ソの連合国は日本の分割占領に合意した。米国が関東と関西、ソ連が北海道と東北、英国が九州と中国地方、中国が四国をそれぞれ占領し、東京はベルリンのように4カ国が分割統治する占領計画が話し合われた。米国務省は8月13日、「日本占領のための国別武力構成案」を作成した。

 日本の分割計画はなぜそのまま実行されず、筋違いにも朝鮮が代わりに分断されたのか。
(引用ここまで)


 なんというかマヌケな史観ですね。
 「日本は自らが分断される身代わりとして朝鮮半島を連合国に捧げるようにして分断させたのだ」とかいう前提がまずダメ。
 「ドイツは分断された。だから、日本も」という視点もおかしい。
 「ドイツは分断されたが、イタリアと日本は分断されなかった」という見方こそが正解。

 つまり、ドイツは当時のソ連、および西側の両方から攻められた結果、均衡地点として東西がとりあった。
 イタリアは西側が無条件降伏をさせた。
 日本が実際に戦い続けていたのはアメリカが中心の西側諸国。
 アメリカが統治独占することを「血の代償だ」と言い出したら、ソ連だけでなくどの国も引くしかない。まあ、初期に戦ったオランダやイギリスにしてみれば言いたいことはあったでしょうが。
 どう見ても日本の降伏はアメリカの功績でしかないですからね。
 「日本が分断されなかったのは、アメリカ(だけ)と全面戦争をしたから」という言いようは、少なくとも間違った見方ではない。

 その一方でなぜ朝鮮半島が分断されたかといえば、分断することで最大利益を得ようとした人間が朝鮮半島の南北にいたからでしかない。
 最後の最後まで「朝鮮半島はひとつである」とすることのできる人物がおらず、牽引しなかったのが原因。金九は最後の最後まで「南北分断はダメだ」と言い続けていたようですが、やっていたことといえば暗殺三昧でカリスマ性なし。
 金日成と李承晩、それぞれが南北で最大利益を得ようとした結果が、南北分断だったに過ぎない。
 もちろん、そこにソ連とアメリカの意図というものが大きく作用したのは確かですが。

 もうひとつは主体としての朝鮮軍が存在していなかったからというのもありますね。
 大韓独立軍みたいな冗談のような(もしくは神話のような)存在はありましたが、日本に対抗して戦っていた連中なんてほんの一握りでしかない。
 その一握りの連中も内部分裂を繰り返していただけ。
 連合国として扱われることもなく、敗戦国のおまけ扱いでしかなかった。
 自分たちが米ソをそれぞれ使って最大利益を得ようとし、それで得られたのがこれまで続く分断という結果ですよ。

 大きな意図として戦後に「半島統一」を掲げて動くことのできた指導者をついぞ持てなかった自分たちの非力さを恨めって話ですね。
 李登輝氏は「台湾をどのような国に仕立て上げるか」という地図を描き、それを成し遂げることができましたが。
 ああいうレベルの指導者を持てなかったのが、朝鮮人の天運ってことです。
 今いるアレだって「北朝鮮に甘言を重ねればなんとかなる」くらいの甘っちょろい考えで、政治・外交として他国を動かして統一なんてことはミリほども考えていませんからね。

「戦後に分断された東京」という世界線を描いたコミック。けっこうおすすめ。最近2巻が出ました。


韓国左派「李承晩は凡夫、金九こそが国父だ」……あれ、そんなにいいもんかねぇ?

韓国統一相候補「李承晩はわが国の国父ではない、金九がなるべきだった」(朝鮮日報)
 李仁栄(イ・インヨン)韓国統一部(省に相当)長官候補者は23日「李承晩(イ・スンマン)大統領が国父だという主張には率直に言って同意し難い」と述べた。

 李仁栄氏は同日の国会人事聴聞会で「李承晩政権はかいらい政権か」というパク・チン議員(未来統合党)の質疑に対し「国民による選挙を通じて政府が設立されたため、その実体的な真実を見るとき、かいらい政権という主張には距離を置いている」と述べた。

 その上で「われわれの国父は金九(キム・グ)であるべきだったという歴史認識を抱いている」と述べた。
(引用ここまで)


 「韓国の国父は李承晩」という話に対して、韓国左派は猛反発するというのがパターン。
 建国日がいつなのか、という論争にも等しいですね。
 右派は1948年8月15日であると言い、左派は1919年3月1日の独立運動こそが建国の日であるというアレ。
 韓国の左派は李承晩の建国した「南半分だけ」の韓国を認めないのです。
 だからこそ建国された日は朝鮮半島全体が独立運動を行ったとされている1919年の3月1日であるし、国父として李承晩を認めない。
 それに対して金九は李承晩の政敵であり、最後の最後まで韓国単独での選挙を認めなかった。
 朝鮮半島全体のことを考えていた人物である……というような感じですかね。

 ムン・ジェイン政権になってから金九記念館で閣議を開いたことがあるほどです。

変わらぬ過去志向の文在寅大統領 独立運動称賛(産経新聞)

 この記事の中でも「ムン・ジェインが最も尊敬する人物という独立活動家、金九」という記述がありますが。
 これはムン・ジェインにかぎったことではなく、韓国左派全体の傾向。
 あと、産経の記事には「金九は旧日本軍中尉を惨殺し投獄されたが脱獄し、三・一運動直後に上海で亡命政府「大韓民国臨時政府」に参画した」とありますが。
 これ大嘘で。
 民間人の日本人商人を「宿で自分よりも先に配膳された」という理由で殺して金品を奪って死刑判決を受けたものの脱獄、が実際です。
 韓国ではこの行為も「抗日義挙」として讃えられています。

 金九は政敵を暗殺しまくって最後には李承晩(の側近からの命令)に暗殺されたというだけの、これといって政治的な功績を残したような人物であるとも思えないのですけどね。
 「尊敬する人物は金九」という話を聞く度に、毎度毎度の違和感を感じています。
 その「李承晩によって暗殺された」という部分が評価にすり替わっているというべきか。  まあ、韓国では安重根が英雄なんだから、金九が英雄であってもなんの不思議もないのですが。

 最終的には暗殺されて人生が終わったからこそ評価されている人物なのかなぁ……というような感じですか。
 生きていたら晩節はキンキローのようになっていたんじゃないかと想像します。
 ちなみに金九を暗殺した人物は、金九を尊敬すると公言していた人物に撲殺されています。ついでにいうと、この殺人犯は金大中政権時代に恩赦をうけて1年半で出所してます。おまけにもうひとつ付け加えておくと、「金九は殺人鬼」と書いた親日派の弁明の著者に暴行したのもこの人物。

 まあ、こんなのを「国父」扱いしているのが韓国左派、という言いかたはしてもいいんじゃないかな。

韓国で「首を切られた仏像」がそこらにある理由と、ずさんな「復元」が行われている理由とは?

1400年前の百済石仏にまつわる秘密とは(朝鮮日報)
 全羅北道益山蓮洞里の石仏寺には、「胴と頭が別々」の百済の仏像がある。宝物第45号「益山蓮洞里石造如来座像」。高さ1.5メートルに達する仏身に加えて光背と台座まで備えているが、威風堂々とした体の上にある顔はどこか不自然。何者かが新しく作ってセメントで付けたからだ。

 現存する百済の仏身の中では最も大きくて古いこの立体石仏が、台座を覆っていた仏壇を取り去り、完全な姿を披露する。文化財庁は「木製の仏壇を強化ガラスに換える整備作業を来月まで実施する」と発表した。この仏身は、衣の裾が台座を覆う「裳懸座(もかげざ)」形式だが、本堂を建てる際に作った仏壇が台座を覆っており、衣の裾は見えない状態だった。

 この仏身は、百済の仏教彫刻の白眉に挙げられる。キム・ジョンヒ円光大学教授は「光背の挙身光は瑞山磨崖三尊仏に見られる百済様式で、日本の法隆寺金銅釈迦(しゃか)三尊像の光背にも現れ、百済様式が日本の飛鳥時代まで影響を及ぼしたことが分かる」と語った。

 問題は仏頭。村には、この石仏が丁酉(ていゆう)再乱(慶長の役)の際に倭軍を防いだ、という話が伝えられている。破竹の勢いで攻め上っていた倭軍が金馬面で濃い霧に遮られ、倭将はこれが仏像の威力だと信じ、刀で石仏の首を打った-というのだ。キム教授は「朝鮮王朝の抑仏政策で損なわれた可能性、自然災害で仏像が転げ落ちて首が折れた可能性もある」として「現在の顔は、1900年代に何者かが作って載せたものと推定される」と語った。
(引用ここまで)


 韓国には首の切られた仏像というものが山ほどありまして。
 李氏朝鮮時代の崇儒廃仏で徹底して仏教は弾圧され、寺院は山奥に追いやられます。
 李氏朝鮮初期は弾圧の強さはそれほどでもなかったのですが。
 というか、李氏朝鮮の初期っていうのは政治的に脆弱すぎてそんなことやっている状況でもなかったというのが実際のところですかね。

 で、多くの石仏は李氏朝鮮時代に多くは首を切られているのですよ。高麗時代には僧が特権階級もいいところで、その恨み辛みが寺に向かったとのことです。
 首の切られた仏像のすぐ下に落ちてて、椅子代わりに使われていたなんてこともあったほど。
 慶州の国立博物館とかに首の切られた仏像がいくつも飾られてます。飾られているというか、野ざらしになっているというか。
 で、「韓国の仏像には首がないものばっかりですねぇ」という話を日本人から振られると、ガイドが「秀吉が首を狩っていったのです!」って言い出して、崇儒廃仏の歴史を知っている日本人が「お前らが李氏朝鮮時代に端から切ってったんだろ」って反論すると「李氏朝鮮とはなんだ、朝鮮王朝と呼びなさい」とあさっての反論をされるまでがワンセット。
 いや、マジで。
 この記事でも倭軍が首を切ったのだ、という伝承が残っているとされていますが。
 まあ、普通に考えたら李氏朝鮮時代に切られたと考えるほうがよほど自然。

 で、こういった文物をコンクリートで補修するっていうのは韓国でありがちな手法。
 楽韓さんが韓国でレポートしてきた利川の五重石塔もコンクリートで補修された跡がありました。
 あと弥勒寺址の石塔もコンクリートまみれだったのを除去した……はずがまともな修復はされていなかった、なんてオチもありましたっけ。
 実はこの石塔の場合は崩壊を防ぐためにコンクリートを塗ったくっていたのではないかとの説もありますが。

20年かけ修復「元の姿と違う」百済の石塔、韓国で批判(朝日新聞)

 韓国の場合、復元とかじゃないのですよ。
 元の姿がどのようなものであったかを考証するとかない。
 望ましい姿に仕上げることが優先。
 もしくは東大門の修復作業のように食い物にしておしまい
 どんな風にされようとも、誰も気にしていないのでしょうね。

ムン・ジェイン一押しの「伽耶史復元事業」でも世界遺産には登録できない理由がある模様……

【コラム】文大統領の伽耶はなぜ世界遺産になれないのか(朝鮮日報)
 伽耶古墳が世界遺産の国内候補リストに名を連ねたのは2013年のことだ。故郷の金海を宣揚したがっていた故・廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と、就任したとたんに伽耶史の復元を国政課題に挙げた文在寅(ムン・ジェイン)大統領のせいで数々の誤解を生んでいるが、「伽耶世界遺産」プロジェクトは実際には7年以上の歴史を有しているのだ。それなのに、なぜユネスコの本審議どころか国内予選すら通過できないのか。 (中略)

残念だが比べてみたところ、読めば読むほどに古代王国・伽耶の登録は困難であるように思えた。記者一人だけの偏狭な判断だろうか。国民にきちんと伝えられていない事実がある。文化財庁の諮問機関である文化財委員会の世界遺産分科委員会が2019年下半期の会議でこの事案を7対1で否決したという事実だ。大統領の関心事業であるため当然通過するものと考えて祝賀夕食会を準備していた関係自治体はその日の夜、茫然自失の状態だったという。

 前述した「卓越した普遍的価値」の基準は大きく三つある。真正性、完全性、地域性。その遺産が本物で信頼できるものなのか、当初の状態に近い形で維持されているか、該当地域は保存準備ができているか、ということだ。伽耶にとっては一つ目の敷居から高かった。検証されていない主張を事実であるかのように説明して物議を醸した国立中央博物館の「伽耶本城」展示が示すように、2000年前の古代王国は依然として大部分がミステリーだ。伽耶当代の資料である中国・陳寿(233-297)の「三国志 魏書 東夷伝」には、当時、韓半島に78の国があったと書かれている。古墳群の現存は明らかな事実であるが、これが全て伽耶なのか、一部は新羅や百済なのか、もしくは全く別の小国なのか知ることができない、というのが学者たちの判断だ。2013年に暫定リストに初めて名を連ねたときは、申請自治体は金海市・咸安郡・高霊郡の三つだけだったが、17年の文大統領の「国政課題宣言」以降、地方自治体は七つに増えた。「卓越した普遍的価値」に合意するのが一層難しくなったのはもちろんだ。

 世界遺産は国ごとに毎年一つしか申請できない。各国の無分別な申請に驚いたユネスコが、18年にこのような措置を取ったのだ。その直前の2017年、ユネスコは事前審査で、朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長が全力投球していた「漢陽都城世界遺産」プロジェクトに「不記載」の判定を下した。保留(記載延期)でもなく、差し戻し(情報照会)でもない、最下位等級の「不記載」だ。600年の歴史を持つ都城とはいうものの、行政的に管理されているだけで、現代まで続く伝統と考えるのは困難だという理由だった。ユネスコはすでに韓国など数か国を要注意国として警戒しているという。
(引用ここまで・太字引用者)


 ムン・ジェイン大統領が就任直後に「伽耶史を復元せよ」と言い出してからこっち、だいぶ怪しげな「神秘の古代王国・伽耶」とかいう特別展が開催されるほどになっている、というのは既報。
 ムン・ジェインは伽耶史を詳らかにすることで、慶尚道と全羅道の間にある地域対立を和らげようとしているとのこと。
 基本無理だとは思いますが。

 2013年から伽耶遺跡を世界遺産にしようとしているという話は初耳でした。
 ですが、ムン・ジェインがあれほど推しているのに、韓国国内での検討会ですら7対1で否決されてしまうという状況。
 っていうのも、伽耶史ってどうも分からないというか。
 楽韓さんはそれなりに朝鮮史をなぞっていて、朝鮮半島の南半分が古朝鮮ではないというような地図が出てきた時にさらっと「あ、これは辰国の存在が影響している」とか言えるくらいではあるのですが。
 どうも伽耶・任那は捉えきれないというか。
 ふわっとしていて把握できない感じです。領域がよく分かっていないというのも原因のひとつかな。
 そんなものを世界遺産に登録できるわけがないだろ、ということで韓国国内の歴史学者の意向も決まっているようです。

 実際問題として遺物が出土しても伽耶のものかどうかっていうのはふんわりとしすぎてて分からない部分が多いとのこと。
 百済、新羅、高句麗あたりがせめぎあっている土地柄でしたしね。
 まあ、「世界遺産」ということになれば観光客も増えるでしょうし、ムン・ジェインの覚えもめでたくなる。
 地元としてはなんとしてでも……という意気込みなのですが、韓国の学者もさすがにこれをユネスコに出したら恥をかくということが分かっているということですかね。

 あと最後の「ソウルを世界遺産に」ってやろうとして最低評価を受け、かつ韓国がユネスコの要注意国となっているというのも草生えますね。
 いかにゴリ押しを続けてきたかという話がよく分かります。

ムン・ジェインが「伽耶史復元」を政策として提唱 → その意向に沿って開催されたイベントが忖度だらけだった件

文在寅政権の「コード」に合わせて未検証の地域・遺物も「伽耶」(朝鮮日報)
 韓国の国立中央博物館(ペ・ギドン館長)で今月2日に開幕した特別展「伽耶本性-剣と絃(げん)」を巡り、学界が騒然となっている。博物館が今年の代表展示として野心を持って準備した企画で、しかも1991年に開かれた「神秘の古代王国・伽耶」以来28年ぶりの伽耶展として話題を集めた展示だ。ところが、いざふたを開けてみると「文在寅(ムン・ジェイン)大統領が国政課題として掲げた『伽耶史復元』にコード(政治的理念や傾向)を合わせようとして大惨事が繰り広げられた」という批判が浴びせられている。 (中略)

 伽耶史研究者のある大物教授は「各自治体が伽耶史復元に熱を上げる中で、誰も彼も伽耶だと大騒ぎしている状況だが、国立博物館がこれを改めずに郷土史レベルの展示をやった」として「それぞれの自治体でにこれを政治的に利用するはずなのに、その責任をどういうふうに取る気でこんなことをしたのか分からない」と舌打ちした。これについて、博物館のホン・ジング考古歴史部長は「論争がある遺物が明らかに交じっているが、昌寧や福泉洞の古墳などは新羅と伽耶の遺物が混在し、豆腐を切るように明快に区分できない」として「広い意味で伽耶を解釈しようとした」と釈明した。 (中略)

 展示のキーワードである「共存、和合、力、繁栄」についても、強引だという評が出ている。博物館は「幾つもの伽耶が一緒になって生き(共存)、数百年間共存を守ることができた理由が、鉄(剣)を扱う技術を持っていたから」と説明する。しかしB教授は「伽耶は平和裏に共存したのではなく、個別の幾つもの独立体が互いに優劣を争い、角逐しつつ離合集散を繰り返していった」として「それを共存や和合とみるのは時代錯誤」と指摘。さらに「伽耶圏が広がるなら無条件にいいだろうと思って乗り出しているが、冷静に言えば、日帝が語った任那圏域に後戻りしつつある」として「考古学研究者は、それを自覚すらできていない」と懸念した。大物教授は「伽耶が三国にかなわなかったことは世間で皆知っているのに、次々と過剰包装しようとして引き起こされた惨事」と語った。

 この展示は来年、日本にも行く。釜山市立博物館(4月1日~5月31日)を経て日本の国立歴史民俗博物館(7月6日~9月6日)、九州国立博物館(10月12日~12月6日)を巡回する。研究者らは「1991年の伽耶展後に蓄積された研究の力量を示すべきなのに、神話レベルの展示を持っていったら、笑いものになるだろう」と語った。
(引用ここまで)


 ムン・ジェインは就任当初から「伽耶の研究をしろ」言っていたほどで、やたらに伽耶にご執心なのですね。
 というのも慶尚道と全羅道には明白な地域対立がありまして。
 一から説明するのはかなり難しいのですが、高麗時代から全羅道にあたる百済出身者は差別されていたという経緯があります。
 それがさらに朴正煕時代にブーストされて現在にいたります。

 ムン・ジェインの師匠筋にあたるノ・ムヒョンも「地域対立の解消」をお題目にして出身地の慶尚道ではなく、釜山から国会議員に立候補してたりします。釜山の市長選挙に出たこともありましたね。
 おそらくはこれを思想として継承しているのでしょう。
 「伽耶史復元」の事業を行うことで、慶尚道と全羅道の両方にまたがっていたとされる古代の伽耶のように両者の紛争は終わり、統合が為されるのではないかというムン・ジェインの政策の一環なのです。

 ただまあ、強大な権力を持つ韓国の大統領が「伽耶史復元を優先して研究せよ」なんて号令を出したらこうなるよね、という典型例を見せています。
 伽耶については文献資料はほとんどなくて、むしろ日本書紀のほうに記述が多いくらいなもの。といったわけで主な研究は発掘品の研究になるのですが。
 実際に伽耶のものであるかどうかも不明な遺物を「はい、これも伽耶」「こっちも伽耶です」って話になるに決まっている。
 で、実際にそのように忖度された展示がされている、という。

 引用はしていませんが、「三国遺事に記述のある許黄玉と首露の結婚は記録に残る最初の国際結婚」なんて紹介のされかたも「統合」や「疎通」をお題目としたムン・ジェインの意向を反映したものなのでしょうね。
 問題は許黄玉が実在の人物とはとても思えないくらいなことですか。
 16歳にしてインドからはるばる伽耶にやってきた、なんていう逸話なのですが。
 雑多な記述でもなんでも収録している三国遺事とは異なり、正使である三国史記には「この記述、絶対やらかしがあるから採用しない」って書かれてるくらいのもの。
 ちなみに韓国では「インドからお姫様がやってきたのなら、そのときにチャノキを持ってきたに違いない」とされていて、そこから「韓国には紀元50年からお茶があったのだ。日本よりはるかに早かった」なんていう主張がされていたりします。

 でもまあ、この展示が日本に来るというのであればなかなか楽しみです。
 はるか彼方の千葉は佐倉まで行くとしましょうかね。

知っていますか、任那日本府 韓国がけっして教えない歴史
大平 裕
PHP研究所
2013/9/11