大韓民国がその重みと深みを測量さえできない残酷な悲しみと苦痛の沼に陥った。船尾だけが水上に突き出たセウォル号の悲惨な記憶が鮮明だが、今度はソウルの真ん中で158人の美しい若者たちが昇華した。言葉では言い表せない子どもたちの早世が残る人たちの胸を押さえつける。安全な社会を築けなかったという自責が悔恨として戻ってくる。 (中略)
野党の政治家と親野性向の元記者が「言論」として急造したインターネットメディアが遺族の同意なく犠牲者155人の名簿を公開し、天主教正義具現司祭団が犠牲者を呼びながら「追悼ミサ」を行った。遺族への2次加害という批判と災難の政治化攻防が政界を熱くしている。李在明(イ・ジェミョン)共に民主党代表は「名前も顔もないところにどうやって国民が焼香して哀悼するのか」と言ったが、弔問客が喪主を叱るような姿だ。話にならない。名簿公開を望まない多くの遺族の胸を突き刺すのと変わらない。犠牲者一人を知らなくても胸に重くのしかかる経験をしていれば、このような発言ができるだろうか。これだから追慕も哀悼も彼らには政争の手段にすぎないのかとため息がでる。すでに広場では「ろうそく」「退陣が追悼」などのスローガンが聞こえる。 (中略)
セウォル号調査は9回・572億ウォンを投じても何も明らかにできなかった。科学の領域であるべき沈没の原因にも意見が一致せず「内因説」と「外圧説」の2つの報告書で終えた。調査委調査官として参加したパク・サンウン氏は『セウォル号、我々が問えないこと』で「責任者処罰に執着せず、社会構造的な原因究明を任務と考えていれば結果は変わっていたはず」とし「誰の問題かではなく、なぜこのようなことが起きたのかを質問するべきだった」と指摘した。
(引用ここまで)
梨泰院の事故を最初に楽韓Webで報じた際に「これは政治がらみになるだろう」「すでにその萌芽が見えている」という話をしました。
コメントでは「さすがに韓国の野党といえどもそこまではやらないんじゃない?」みたいなものが散見されましたが、結果はご覧の通り。
「第2のセウォル号」を期待する野党は代表であるイ・ジェミョン自ら「犠牲者名簿を提出しろ」と言い出し。
メディアを自称するどこの馬の骨とも分からないサイトが公務員から流出した犠牲者全員の名前を載せる。
原因とか対策とかどうでもいいんですよね。
要は与党に対して暴れ回ることができるかどうか。
「ムン政権時代は一方通行にして歩行者規制があった」とか嘘を垂れ流してもOK。
結果、何年かおきに同じような事故がまた起きるのです。
セウォル号も大邱の地下鉄火災も、古くは三豊百貨店崩壊や聖水大橋崩壊もなんの意味もなかった。
敢えていうなら大邱の地下鉄火災で地下鉄の多くがステンレス製の椅子になったというくらいですか。
でも、いまだに高速鉄道であるKTXのカーペットは燃える際に有毒ガスを出すタイプのものですけどね。
地下鉄じゃないからセーフ(?)。
ま、何年かに一回のペースで工事中のビルが崩壊して、橋が崩壊して。
春になる度にシンクホールに人や車が吸いこまれていくのです。
それが韓国社会なのですから、それでいいんじゃないですか?
あ、シンクホールについては地味にですが対策が取られているそうです。
「シンクホール前もって探そう」…陽川区、「地表透過レーダー探査」施行(韓国経済・朝鮮語)
うまく動作するといいですね?
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