地下鉄に乗って通勤していると、大学名が大きく記されたジャンパーを着た学生たちをよく見かける。中学生たちもスラスラ暗唱するという「大学序列ピラミッド」でいえば、真ん中以上にはなる大学が多かったと思う。2人の子を育てる父親のおせっかいだろうか。そのジャンパーを見ると、たまにこんな風に思うことがある。もしかして地下鉄の同じ車両に「名もない」大学の在学生がいるのではないか。「誇らしく」見せびらかしている自分の大学より序列が上の大学の学生が乗っていたら、委縮してしまうのではないか。
大学ジャンパーは、単なるファッションとは考えがたい。韓国社会の根強い序列主義が投影された「区別付け」文化の一つと解釈した方が、より現実に合っているように思える。絶えず並ばせ、区別をつける社会では、優越感よりも挫折を感じる人の方がはるかに多くならざるを得ない。下に行くほど広くなるのがピラミッドの属性だ。
もちろん、学生たちの「承認欲求」が全く理解できないわけではない。熾烈(しれつ)な競争を勝ち抜いた人たちにのみそのジャンパーを着る資格が与えられるわけだから、「私、この大学に通っているんです」と自慢したい気持ちがないはずがない。その「看板」を手に入れるためにどれほど苦労したかを考えると、気の毒な気さえする。もしかしたら、彼らは幼い頃から競争を内面化するよう強要してきた社会システムの被害者かもしれない。最近の若い世代の寒々とした能力主義と公正さに対する強迫観念を非難する声が多いが、それもまた競争中毒社会の悲しい自画像ではないかとも思う。 (中略)
今年の修能をちょうど1週間後に控えた先月10日、「大学入試の相対評価は違憲」だという違憲訴訟が起こされた。修能と高校の内申の相対評価は「殺人的な競争」を誘発するため、憲法の保障する幸福追求権、健康権、教育権などを侵害するとの趣旨だ。教育運動団体「私教育の心配のない世の中」が主導したこの違憲訴訟に対しては、96人の弁護士が「違憲宣言文」を通じて支持を表明している。「誰かを踏みにじって収めた勝利の強要、たった1%を選び出すための評価は、その目的が正当でないだけでなく、自己破壊的で非教育的で反人間的だ」。熾烈な競争を勝ち抜いて、相対評価体制において「勝者」となった弁護士たちが、100人近く支持宣言をしたということに驚く。
保守陣営は相変わらずもっと多くの競争が必要だと叫んでいるが、韓国は競争が足りないからではなく、多すぎるからこそ数多くの病弊を生みだしているのだ。光州科学技術院のキム・ヒサム教授が2017年に韓国、中国、日本、米国の4カ国の大学生に、自国の高等学校がどんなイメージに最も近いと考えるかを調査したところ、韓国の大学生の81%が「死活をかけた戦場」と答えた。中国(42%)、米国(40%)、日本(13.8%)に比べて圧倒的に高い。
(引用ここまで)
韓国の教育制度はこのままでよいのか、とする左派紙ハンギョレのコラム。
ソウル大学、高麗大学、延世大学をはじめとするピラミッドが形成されており、その次にはソウルにあるか否か(KAISTなどの特化した大学はまた別)、4年制かどうかで選別されます。
そうしたヒエラルキー、階梯化が韓国社会には蔓延しているし、学閥も跋扈している。
誇らしげに大学名の入ったジャンパーを着ているが、それ以下の大学に入った学生は萎縮しているのではないか、韓国社会はこれでよいのか……と。
……といったところで、修能試験(日本の共通テスト、旧センター試験に相当)でそれ以降の人生がほとんど決まってしまう韓国のやりようを変えられるというわけでもなし。
これこそが元駐韓日本大使であった武藤正敏が「韓国人に生まれなくてよかった」って言うほどの競争社会のなれの果てなのですよ。
小学生の時点で「おまえは進学組じゃない」ってやられたらそれ以降の人生が決まってしまうドイツに比べたら幾分かマシかもしれんけど。
公務員試験が年齢制限なしで受けられますからね。
ただ、韓国の社会構造がおかしいとは誰もが思っているのでしょうよ。
大企業に就職できた数少ない人々、あるいは医者や弁護士だけが成功し、それ以外は脱落した扱いになる。
成功まで言わないまでも、それなりに暮らせるようにならないか……と。
半地下や屋塔房やテントハウス、あるいはコシウォンではなくて普通のアパートに住めるようにならないかと。
まあ、ならないんですけどね。
大企業と中小企業のそれぞれ正社員と非正規の賃金格差は4倍。
小学生の将来の夢は「不動産賃貸業で不労所得」となる社会ですから。
というか、このコラムを書いているハンギョレの記者自身も「たった1%を選び出すための評価」を勝ち抜いてきた人物でしょうし。
Twitterで更新情報をお伝えしています。フォローはこちらから→Follow @rakukan_vortex