いつもは画像もろパクリはモットーとしてやらないのですが、これはスライドショータイプのニュースなのでどうしようもないので全体を持ってきています。
「タクワン」「タクワン」……現在でもこの言葉は、私たちの周りでよく聞こえます。そのせいか沢庵が日本の食品であることに疑問すら挟もうとはしません。ところが、沢庵が日本で始まった食べ物であることは確かだが、最初に作ったのは韓国人という話があります。どのような理由であるかソンベクホン教授にお聞きしてみました。
タクワン、日本起源ではなかった?
歌手パク・ジュンヒョンさんが冷蔵庫の中に入っている食べ物はなにかと問われると「たくわんでしょ?」とすぐに答えました。
韓国語が下手な彼に「たくわん」がよく聞こえなかったためか、無効な表現であることを知らなかったのかもしれません。
(ネチズンの声)「タクワン……日本の食品でしょ?」等々
タクワン、タクワン……いまでもこの言葉は私たちの周囲でよく聞こえる単語です。そのせいかタクワンが日本の食品であることに疑問を挟むことすらありません。
(質問掲示板で)「私の知るかぎり日本の食品ではないでしょうか」
タクワンが韓国料理ではないかという質問には、堂々と日本の食品であるとの回答が書き込まれることもあります。
百科事典でもタクワンは日本の料理であると表記されています。ところが、タクワンは日本の食品であるという事実は半分は正しいが半分は間違っているという不思議な主張があります。
当時高句麗にはテクアムという僧侶がいました。彼は仏教を広めるために日本に渡ったそうです。
彼が向かったの日本は大小の戦いが非常に多かった時期でした。
「日本は発酵食品を作るのには難しい機構で会って、大根を乾燥させたあとに塩を混ぜた米ぬかに入れて熟成させて食べる新しい食べ物を作成しました。それがまさにタクワンです」――ソン・ベクホン忠南大学名誉教授
粗末なごはんを食べる兵士たちにおかずを作ってあげようと彼は塩漬けの新しい食べ物を作ったといわれています。 新しいおかずは兵士たちに広まり、その食品はテクアムの名前をとって「タクワン」(テクアムの日本式発音)として呼ばれたそうです。
「日本人はこのような漬けこみ、浸す方法を使用することになった。こうして様々な野菜を漬けて浸した食べ物を日本人はチュゲモノ(漬物)という」ソン・ベクホン忠南大学名誉教授
テクアムのタクワンは日本で引き続き発展していき、塩に漬けた食品(漬物)は日本で必須の食べ物としての地位を固めることとなりました。
タクワンが韓国に入ってきたのは日清戦争後と知られています。当時の日本人が朝鮮に入ってきてうどんなどと一緒にタクワンを持ってきたのです。
その後、海苔巻きに出会ったタクワンは私たちの口に合うように変身を繰り返し、タクワンをモチーフにしたキャラクターまで広く人気を集めています。
実際には資料が不足していますが、テクアムとタクワンが韓国からもたらされた可能性があります。そうすると、この黄色さもちょっと異なって見えてくるようですね。
(引用ここまで)
……あー。
「沢庵和尚の出自が高句麗で、日本にやってきたときが戦いが絶えない時代で、貧しい食事しか摂れていなかったのを憐れに思ってタクワンを開発した」ですか。
7世紀に滅亡した高句麗出身の僧と、家光が会談したのか。
だいぶ長生きだったようですね。……はっ、その長寿命こそが元祖タクワンの威力だとでも……いうのか……?
ま、実際には韓国にはだいぶ前からある「テクアム韓国出自説」なのですが。
初見は日韓ワールドカップの頃だったように思います。
「秀吉軍が唐辛子を持ちこんだ」という話がなんとも民族的自尊心を刺激してしまって、こういう話を創りあげるようになったのだろうなと解釈していました。そんなことを2chだったかenjoykoreaに書いたような記憶があります。
心理学でいうところの防衛機制的に「唐辛子が日本から持ちこまれていたとしても、おまえらのたくわんは韓国起源なんだからな!」という感じではないか、と。
それでもこの「テクアム韓国出自説をテレビがこんな風にまことしやかに取り上げるのははじめてじゃないでしょうかね。
あと高句麗出身というのもはじめて聞いたかな。
李子朝鮮出身では仏教弾圧があった時代なので、考証が破綻するって思ったのでしょうね。
あと一介の僧にそこまでの資料が揃っているとか思わないんだろうなぁ……。
まあ、浅はかの一言です。

M・スコット・ペック (著), 森 英明 (翻訳)
草思社
2011/8/12