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カテゴリ:歴史関連の記事一覧

韓国メディア「渤海は韓国史の一部なのに、日本の東大はそれを無視して韓国を消している!」……いや、それはさすがに無理筋だと思うんだが

カテゴリ:歴史関連 コメント:(89)
タグ: 渤海 歴史関連
「中国黒竜江省、渤海」…韓国を消した東京大学渤海史 [日本の中の韓国文化財](世界日報・朝鮮語)
「現在の中国東北地方を中心に、東アジア東北部に広がっていた国である。 自国の史書を残さなかったため、その歴史には不明な点が多く、20世紀初頭以降、原田叔人をはじめ、本学の研究者らが考古学的調査を実施してきた。 都城の構造や瓦などの物質文化は、平城京や平安京と同様、唐の長安城と類似が指摘されている」。

東京大学総合研究博物館(東京大学博物館)の展示品説明の一部だ。 位置の説明だけを見ると、中国王朝を紹介したようだ。 関連遺跡、遺物をめぐっては日本の首都だった京都、奈良に触れ、日本の古代国家なのかもしれない。 実際には渤海についての説明だ。 3つの文章に過ぎない短い文だが、韓国に対する言及はない。

不愉快極まりないこのキャプションは、「日本による植◎地時代植◎史学」の成立、韓半島統治のための基礎調査を主導した日本最高の同大学が、韓国と絡んだ良くない縁を想起させる。

日本の考古学の先駆であることを自負する東京大学博物館は、展示を通じて世界各地で実施した発掘調査を誇る。 渤海調査は、北東アジア発掘調査のひとつの成果として挙げられる。 注目されるのは渤海史を韓国史と考えていないような態度だ。

瓦、仏像、金属装飾物など展示された7点(先月26日基準)の渤海遺物キャプションにも韓国はない。 遺物の名前、形態、意味を盛り込んだキャプションは「中国黒竜江省、渤海」で始まり、渤海史を知らない人なら中国王朝と連想するのにちょうど良い。 展示会のキャプションは、大体が短いいくつかの文章で構成されるが、該当機関がその遺物に対して持つ最も基本的な認識を盛り込むものだ。 また、観覧客に伝えようとする基礎知識だ。 したがって、このようなキャプションは、東京大学博物館が渤海史が韓国史の一部だという点を認めない、あるいは無視してもいいと考えるのではないかという考えを想起させる。 渤海に対する調査をさらに詳しく説明したホームページ資料も同じだ。 「北東アジア、渤海調査」というタイトルの文書だ。 渤海建国については「俗末葛(粟末靺鞨)や668年に滅亡した高句麗の末裔が関連していると知られている」とか、渤海都城の様相については「高句麗文化との連続性」などを言及している。

しかし、「1990年代末以降、主に中国と韓国の間で高句麗、渤海の歴史認識をめぐって論争が起こっている」とし、渤海史を韓国史と断定しない。 「(博物館が所蔵していた渤海の遺物である)石仏や三彩陶磁器などの正品(精品)を含む一部が中華民国(台湾)政府と中華人民共和国(中国)政府に返還された」という点を当然のことのように紹介したのも目につく。
(引用ここまで。◎は民)


 韓国メディアが「日本の東京大学が渤海を中国史であるかのようにして紹介している!」として激昂しています。
 ……いや、渤海を韓国史の一部として紹介するのはだいぶ無理がなくない?

 まあ、韓国メディアがこう言うのには理由がありまして。
 主として高句麗を中国史に組み込もうとしている中国の「東北工程」に対抗するために、高句麗の後継国家である渤海についても韓国史であると言い張る必要があるのですね。
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 渤海は高句麗が滅ぼされた後に大氏が建てた国で、高句麗と最大版図を比較してみるとこんな感じ。
 まず高句麗。
 5世紀半ばに広開土王を継いだ長寿王の頃のもの。

koukuri.png
(ソース・Wikimedia Commons

 まあ、これなら「高句麗が韓国史の一部」というのもまあ分かる。ただ、主たる領土は中国側にあったんだろうなとは思われます。
 んで、渤海。

bokkai.jpeg
(ソース・Wikimedia Commons

 だいぶ……というか西と南が削れていますかね。


 朝鮮半島はわずかに現在の北朝鮮のさらに北半分まできているかどうか。
 平壌すら含まれていないのです。
 領土の大半は中国東北部。あといまのロシア。
 これ見ても「渤海は韓国の一部!」って解説はされないよ、そりゃ。

 何度か遷都されていますが、首都はいずれも中国北東部。
 あと日本との関わりも大きくて、日本に朝貢していたのはよく知られている事実です。
 まあ、中国(唐)からの圧力を避けるために「後ろには日本がいるんだ」ってやるためと、純粋に朝貢貿易がおいしかったからですけどね。
 途中、日本側から「そんなに頻繁に来るな」って言われるくらいには日本に来てたようです。
 あと遭難した遣唐使が渤海経由で日本に帰国するなんてことも幾度かありました。

 「渤海は韓国史の一部」って言われても「いや、それはどうだろう」ってなるのが正直なところかなぁ。
 韓国の主張としては理解できなくもないけど、日本からしてみたらちょっと間抜けな主張として受け取られて当然かな、といったところです。

 なお、記事後半(引用外)は「略奪された韓国文化財を東大が『返還』ではなく『寄贈』にこだわった」ってぷんすかしてますが。
 まあ、「そういうとこだぞ」としか言えません。

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韓国の有名大学、寄贈された絵画を紛失していた……えーっと、実はいつものことです

カテゴリ:歴史関連 コメント:(81)
高麗大学博物館の「鵜の絵画失踪事件」···粗末な寄贈品の管理(韓国経済新聞・朝鮮語)
高麗大学校博物館が寄贈された遺物を紛失しても、これを2年間学校当局に隠してきたことが確認された。紛失した作品は絵画的価値の高い滄江趙涑(1595~1668)の鵜の絵(写真)で知られている。

27日、韓国経済新聞の取材によると、高麗大学博物館は2021年8月、高霊朴氏の子孫から17世紀から20世紀初頭に至る遺物を多数寄贈された。

その後、学校側は160点余りを買収したというリストを内部的に作成したが、これには趙涑の鵜の絵など価値のある品物は抜けていた。

趙涑は字と絵などにあまねく長けて「詩書画三絶(詩書画が全て優れた人)」と評価された。特に花鳥図が逸品で、カササギなど新しい絵はその中でも抜群だった。彼の作品の一部は国宝・宝物級と評価され、国立中央博物館澗松博物館なども所蔵している。

博物館は通常、寄贈を受ければ該当物品の価値を大まかに記載し、寄付領収書を発給する。博物館側は今年3月、寄贈者に領収書と寄付証書などを送ったが、ここに当然添付されるべき寄贈品リストは付いていなかった。これを疑問に思ったドナー側が調べた末、5月末にリストを個人的に入手したが、このリストには趙涑の絵などが完全に抜けていた。

誤ってそれだけ抜けたとは言い難い。寄贈者側で残りの物品はスーツケースに入れて引き渡したが、趙涑の作品は大切に思い、別の箱に入れてあらかじめ渡し、当時の現場で博物館長、学芸員らと調速の作品に関する対話を交わした。高麗大学の学芸員1人はの鵜の絵を調べ、「これであるならよく管理できた」と言及したという。

高麗大学側も作品を受け取った事実自体は認めている。高麗大関係者は「早俗のものと推定される作品を受け取ったが、現在なくなった状態という点は事実だ」とし「紛失物を探すために博物館で2万点に達する所蔵品を全て探したが見つからなかったし、管理不良に対して責任感を感じている」と話した。 (中略)

高麗大学は昨夏、関係者4人に対する監査を実施した。一人の学芸員が責任を負って辞職し、9月の定期人事で博物館長も交替された。高麗大学のイ·ウォンギュ副総長は「今年6月になって寄贈品がなくなったという事実の報告を受けた」とし「寄贈者には十分に謝罪と説明をしたと考え、警察署に紛失と盗難の可能性に対する捜査を要請した状態であり、具体的な内容は捜査を経て明らかになるだろう」と述べた。高麗大学は捜査過程で学芸員2人に1人は携帯電話フォレンジックを受け、もう1人はこれを拒否して嘘探知機検査を受けたが、特別な疑惑点は発見されなかったと説明した。
(引用ここまで)


 趙涑という有名な李氏朝鮮時代の画家、詩家、書家がいたそうで。
 名前を聞いたことがあるような……ないような。いや、ないかなー。

 日本でもその絵画とされている(伝趙涑画)ものが国立博物館に所蔵されています。
 いわゆる小倉コレクションから寄贈されたものだそうです。

 小倉コレクションは日韓併合時代に古美術品、文化財を蒐集していた小倉武之助が戦後、日本に持ちこんだもの。
 死後、かなりしてから東京国立博物館にすべてが寄贈されています。
 小倉氏が集めた絵画の作者であれば、相当な価値のあるものなのではないでしょうかね。
 知識がないのでそうした間接的な比較でしか価値を計れないのですけどね。

 で、高麗大学がその趙涑による絵画を寄付されて、紛失した……と。
 いや、いつものことじゃない?
 こうした文化財に対する意識の低さは、本当にいつものことでしかない。


 「国宝1号」としている南大門が消失して、修復された際のごたごたは言うに及ばず。

南大門復元事業で「伝統技法に則って復元」するはずがペンキと接着剤を使用……業者に10億ウォン以上の賠償金支払い命令(楽韓Web過去エントリ)

 それ以外にもこうした話はいくつも枚挙に暇がありません。

 政府が使用する国璽が6年で壊れたので、新たに製造してもらったところ。
 「国璽に使う」と支給されていた金1.2キロを制作者が横領
 その制作者は金をばらまいて「伝統技法所有者」を名乗っていただけの素人。
 完成した国璽は釘だかくさびだかがはみ出ているようなしょうもない代物。
 あと大韓民国の初代国璽も紛失

 あと李氏朝鮮時代の国璽・印章はことごとく紛失
 マッカーサーが日本から取り戻した国璽も紛失。

 新羅時代のサイコロが発掘されたので乾燥させようとして消失させたりとか。
 資料を展示していたのだけども、(紫外線が含まれている)一般の蛍光灯を使っていたので文字が読めなくなるとか。

 韓国の文化財に対する意識ってこんなもんなんですよ。
 観世音菩薩坐像も韓国に「返還」されていたらこんなんなってたでしょうね。

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ドイツの博物館が「韓国の乳を放り出した李氏朝鮮時代の女性」の写真を展示→韓国国会議員「日本の陰謀だ、撤去しろ!」

カテゴリ:歴史関連 コメント:(133)
「息子を産んで自慢」…胸をさらけ出した朝鮮女性の写真、独博物館から撤去(中央日報)
20日(現地時間)、ドイツ・フンボルトフォーラム内にあるアジア芸術・民俗学博物館は韓国遺物特別展「アリアリラン」から「水を汲む女性」という説明書きがついた胸をはだけた朝鮮女性の写真を撤去した。

この写真は、ドイツ北京公使館に勤務していたアドルフ・フィッシャーが1905年に韓国を訪問した時に撮影された写真と推定されるという説明が添えられて展示されていた。1907年日本人が運営する京城写真館が発行した韓国風俗風景アルバムに収録された。

写真は「誇らしい母たち」というタイトルで、「朝鮮時代中期から女性が男の子を産めば非常に自慢して授乳する胸をあらわにし、男の子を産んだことを周囲に見せた」と記載されている。

韓国国会外交統一委員会所属の金炅俠(キム・ギョンヒョプ)共に民主党議員は在ドイツ韓国大使館の国政監査で「日本人がスタジオでモデルを使って撮影した胸をさらけ出した朝鮮女性の写真を、まるでドイツ人が撮影した写真のように展示した」とし「朝鮮女性を対象化して朝鮮文化が劣等で未開であるというイメージを作り出すために日本が意図を持って製作した写真」と指摘した。
(引用ここまで・太字引用者)


 ドイツのフンボルトフォーラムで行われている韓国遺物特別展なる展示会で「子供を産んだ女性が胸部を出している写真」が展示されていたそうですわ。
 これ、李氏朝鮮時代の風習です。
 跡継ぎの男児を産んだ女性が誇らしく「授乳している証拠」として放り出していたものですね。

 一時期、韓国国内でこの風習をなかったものにしようとするムーブがありました。
 どうも「こんな風習などなかった」としたかったらしいですね。
 今回の記事でもその「風習はなかった」とのイメージが反映されています。


 で、さらにこの「風習がなかった」論の言い訳として、「日本が韓国の風習を貶めるためにこんな格好をさせた」ってものがありまして。
 見事に今回も件の議員が「日本の陰謀だ」って話をしてます。

 実際にあった風習を否定するっていうのは「過去からすべて韓国の歴史は輝かしいもの」っていう意識があるからでしょうね。
 しかし、撤去までさせるか……。

 ちなみに今回の展示会があったフンボルトフォーラムですが、韓国関連の展示内容がしょぼいと韓国側が文句をつけ続けてきた博物館です。
 日本、中国の展示スペースと比べて1/10しかない、もっと韓国の国格にふさわしい展示にしろって言い続けてました。

ドイツのアジア博物館、韓国の扱いを日本・中国の1/10にしてしまう……さらに「え、ずっと中国の属国でしたよね?」と韓国の逆鱗に触れてしまう(楽韓Web過去エントリ)

 それもあって逆鱗に触れたってとこかなー。
 でもま、この「乳放り出しおばさんなんてなかった」話ができてよかった。

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韓国人「楽浪郡は朝鮮半島になかった。我々は中国人に支配されたことなどない」……ああ、はいはい、アレですね

楽浪国と楽浪郡はどこにあったのだろうか(慶南毎日新聞・朝鮮語)
三国史記新羅本紀朴赫居世30年(西暦前27年)4月大晦日に日食があった。楽浪が兵を従えて侵犯した。辺境の民たちが夜も門を閉めずに野原には穀物が積まれていることを見て、互いに言うには「この地方の民たちは互いに盗み方を知らないから道がある国だと言える。私たちが密かに兵士を連れてきて襲撃するということは泥棒同然なので恥ずかしいことだ」と言って帰ってきた。

この当時、日食を観察して記録するほど文化がかなり発展していた。にもかかわらず、まともに国家体系が整っておらず、文化も発達していない小さな国が新羅だと認識するのは植民史学カルテルによる歴史教育の結果だ。 (中略)

中国の『後漢書』に高句麗太祖王(西暦146年)が西安平を襲撃し、大方県令を殺して楽浪太守の妻子を捕まえたという記録がある。西安平が鴨緑江沿いの丹東にあったと中国では東北工程に基づいて主張し、国内古代史学界もこれに従っている。

しかし、東北工程以前の中国史料を学術的に研究した地球人の古代史勉強部屋によると、西安平は河北省古美亭市巨摩河流域だという。植民史学カルテルによって楽浪郡平壌説を守るために東北工程に協力した学説よりはるかにまともな歴史研究結果だ。 (中略)

楽浪国と楽浪郡は別のところにあったにもかかわらず、植民史学は楽浪国は説話のようなものと認識し、平壌に韓武帝が建てた楽浪郡が無条件にあったと主張する。植民地史観の枠組みに合わない三国史記の初期記録に不信を抱いた。しかしYouTubeで「KBS HD歴史スペシャル-失われた王国、百済の風納土城」を見れば、三国史記初期記録が正しいということを歴史遺物と遺跡が証明してくれる。

楽浪国と楽浪郡に関する正しい歴史事実を教科書に載せて教育しなければならない。歴史主権と領土主権をきちんと探すことは、中国の東北工程に対処して未来の統一に備えることだ。そのためには植民史学カルテルを克服しなければならない。
(引用ここまで)


 えー、韓国では「輝かしい韓国の歴史派」と「歴史資料から見た学者」がいまして。
 あ、前者を学者としていないのは(まともな)歴史学者はほぼゼロであるためです。
 韓国では「在野の学者」としていますね。

 どのような主張をしているかというと── ・「三国時代は4世紀以降というのは嘘(高句麗・新羅・百済のすべてが紀元前に建国している)」
・「楽浪郡は朝鮮半島に存在していなかった」
・「檀君朝鮮は存在したが、箕子朝鮮、衛士朝鮮は存在していない(もしくは中国人王朝ではない)」

 これらの歴史観に反するものはすべて「植民史学の輩」「植民史観学者」として糾弾される対象になるのです。
 輝かしい韓国が中国に支配されていたことなどなかったのだ、とするものですね。



 その余波として「大百済帝国」なるものがあったなんて説に飛び火しています(上の画像はその最大版図とされているもの)。


 で、それらの学説の中でも力強く生き続けているのが「楽浪郡は平壌になかった説」です。
 楽浪郡を詳細に見れば中国人による支配であることに間違いはありません。
 なので、楽浪郡自体の存在を否定しているのですね。

 いや、正確にいうと「楽浪郡はあった。ただし、中国の遼東半島や北京にあったのだ」とする説です。
 楽浪郡が中国人支配の地であったことは考古学的に間違いない事実。なので「そんなものは朝鮮半島になかった」としているのです。
 ちなみに平壌あたりからざくざく出てくる楽浪郡関連の出土品は「中国の楽浪郡から持ってきた戦利品が溢れるほどにあったのだ」との設定になってます。

 昨今の中国による東北工程に対抗するために、この「楽浪郡中国説」とでも呼ぶべき異説……というかトンデモ史観は力を持っているわけです。

韓国歴史学者「楽浪郡は朝鮮半島になかった。中国に反論できなくなるからなかったことにするのだ」(楽韓Web過去エントリ)
楽浪郡等の漢四郡は朝鮮半島に存在しなかった。あるというのは中国や日本の歴史歪曲に過ぎない!!(楽韓Web過去エントリ)

 2023年になってもまだまだこの楽浪郡中国説を語る輩がおり、かつそれに反対するものを「植民史学カルテルだ」と糾弾しているわけですよ。
 まあ、韓国人に受け容れられているかというとそうでもないのですが。
 少なくとも「一定数は『本当の歴史、真実の歴史』を信じている」ってところです。
 日本でいえば竹内文書や東日流外三郡誌、宮下文書を正史と信じているようなもんですね。

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韓国メディア「日本最古の文字とされたものが油性ペンで書かれたものと判明」「自慢しようとしたのに国際的な恥をかいた」と大はしゃぎ

カテゴリ:歴史関連 コメント:(86)
タグ: 歴史関連
自慢しようとして「国際的恥」日本最古文字? 実体は油性ペン跡(毎日経済・朝鮮語)
日本最古の文字記録という期待感を一身に受けた2000年前、黒い痕跡の実体が油性ペン跡として判明した。

連合ニュース、共同通信、NHKなどによると日本の奈良県が設立した橿原考古学研究所の岡見知紀主任研究員は、1997年に島根県松江市発掘遺物に書かれた黒い線は油性ペン跡だと10日に開かれた日本文化財学会で発表した。 (中略)

黒い痕跡は墨で書かれた文字である可能性があると明らかにした。

事実なら、日本で発見された最も古い既存の文字記録より200~300年も先のことだ。日本のメディアも注目した。

松江市当局は出土品の区分情報を書いた紙からインクが転写された可能性があると文化財をさらに注意して扱うと明らかにした。
(引用ここまで)


 松江市で見つかったすずりになんらかの文字が書かれており、日本で最古の文字ではないかともされていたのですが。
 実際にはラベル等の油性ペンが転写されたかなにかだったとの結果に終わりました。

「日本最古の文字」実はペン汚れ…ラベルなどの文字が転写か(読売新聞)

 考古学で資料のコンタミはけっこうあることで「最古の米が出土した」とかされても眉につばをぬったくって見なければならないというのが実情。
 「縄文時代の米か?」とされた炭化米が近代のものであったなんてこともありました。

 まあ、こうして素直に発表されたのであれば健全性の証明ともなりますかね。
 ただ、このニュースを韓国がかなり多く報じていまして。


 20近くあるかな?
 通信社である聯合ニュースが報じているので、実際にはさらに多くのメディアが報じているでしょうね。
 で、面白いのが「歴代級妄想」とか「自慢しようとして『国際的恥』を」とかいう見出し。
 なるほど、韓国ではこうしたコンタミが「自慢しようとして行ったもの」と認識されるのですね。

 ま、実際に韓国では国宝274号事件というものがありまして。
 「李舜臣が使っていた」とされる砲門が海底から発見され、国宝指定されたのですが。
 捏造品だったというオチに終わっています。

 韓国人は遺物捏造においてそういった経緯を持っているので、「自慢しようとしたものの」というような見出しになるのでしょう。
 人間というものは自分の持っている物差しでしか物事を計れないものですからね。

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韓国人「高句麗の王が日本を焦土化し、百済・新羅も日本に領土を持っていたのだ」……Ω ΩΩ<な、なんだってー

広開土太王陵碑「辛卯年」記述の解釈(蔚山第一日報・朝鮮語)
日本学界は碑文の「辛卯年」部分に大きな関心を示した。彼らは「倭が百済、新羅を攻撃して臣民にした」という文が碑文に出ていると解釈した。以後、これについての日本の学者たちの論文が湧き出はじめたが、ほとんどが広開土太王陵碑の「辛卯年記述」を『日本書記』の神功皇后が4世紀後半に玄海灘を渡って朝鮮半島南部地域を征服したという伝説的内容と関連して「任那日本府設立」を主張するものだった。 (中略)

この碑文の中の「百殘」と「新羅」は、日本の九州にあった「百済の分国」と「新羅の分国」のことだ。百済と新羅は朝鮮半島南部の人々が九州に渡って建てた小さな国々であり、「倭」は機内=倭の首都付近地域にあった大和、倭政府だった。「海を渡った」というのは玄海灘を渡ったものではなく、九州にあった百済と新羅の分国を打つために日本列島の内海である瀨戶內海を渡ったと見るのが正しい。

瀬戸内海は日本列島の本島と四国の間の長い内海で湖のように静かな海だ。本州の「国」や「京都」から九州に来るためには、必ずこの海を渡らなければならない。
(引用ここまで)


 おー、なるほどそうきたか。
 いわゆるトンデモ本のひとつである「大朝鮮帝国史」というものがありまして。
 そこには「大百済帝国」という地図があります。

 日本の西半分は「奈良百済」であり、黄海をはさんだ山東半島を中心として外百済が存在していた、というもの。
 「大朝鮮帝国史」は全5巻フルカラーのコミックです。アメコミを描いていた作家が韓国に帰国してから歴史関連のマンガを描きはじめるようになり、その集大成だとか。
 大朝鮮帝国史の表紙がこちら。

History_of_Empire_of_Korea.jpeg

 んで、大百済帝国の版図とされているものがこちら。

historyofempireofkorea_greatkudara.jpeg

 桓檀古記という偽書を大元としていて、古代から歴史の中心として動いてきた「輝かしい韓国史」を描いています。
 おおよそ、「輝かしい韓国史」の元ネタは桓檀古記。

 今回ピックアップした歴史コラムニストの「広開土王碑に書かれている『百殘』(百済)と『新羅』は、それぞれの国が日本の九州に渡り、飛び地として占領した地域のことだ」という歴史認識はこの「輝かしい韓国史」に基づいています。
 それ以外だと「漢四郡は朝鮮半島ではなく、山東半島にあった」(なお日本のせい)とか「黒い山葡萄原人が朝鮮人のルーツである」とか「韓国人は朝鮮半島で発生し、中国は関係ない」といった話が語られています。


 だいたいですがこうした「輝かしい韓国史」は「歴史学者」ではなく、「在野の歴史学者」によって語られます。
 最近になって「いい加減にしろ」とばかりに歴史学者からクレームが出るようになったのですけども。
 このペ・ジョンドクなる「歴史コラムニスト」も似たようなものでしょうね。
 今週になってもう一本、歴史コラムが掲載されていまして。それがこちら

[ペ・ジョンドクの歴史紀行]「任那日本府說」(蔚山第一日報)
広開土太王碑文の記録で広開土太王が日本列島を焦土化した時期がCE396年とCE400年だ。また、宋書に出てくる記録を見ると、倭五王が宋国に使者を送った時期がCE421~479年だ。この時は倭国に百済の擔魯(訳注:百済の地方行政組織。この場合は奈良百済のような「飛び地」)があった時期であり、倭五王は百済州擔魯の王たちだった。
(引用ここまで)

 広開土王碑で「広開土王が日本列島を焦土化した」ことになっているのだそうですよ。
 これはつまり、倭が朝鮮半島に上陸したのではないということ。
 上記のように百済、新羅の飛び地が日本の九州にあり、それを広開土王が日本列島にまで遠征して成敗した、という史観に基づいているのですね。
 ……まあ、草しか生えませんが。

 こんな「説」を大真面目で唱える「在野の学者」がいて、ローカル紙とはいえどもそれを掲載する新聞社があるのですよ、ということで。

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韓国でまともな報告書も出されなかった最大級の前方後円墳、30年後にようやく副葬品を展示……ただし、解説はほとんどなし

全羅道屈指の国宝級古墳、被葬者は倭人?百済人?(ハンギョレ)
「調査に行った墓が盗掘されていました!」

 学芸員のソン・ナクチュン氏は青ざめて電話をとり報告した。彼の頭の中は、少し前に目撃した、古代の墳墓の片側に開けられた盗掘の穴の惨状でいっぱいだった。30年前の1991年3月26日午後、ソン氏を始めとする国立光州(クァンジュ)博物館の職員たちは、全羅南道の咸平礼徳里(ハムピョン・イェドクリ)の丘にある6世紀初めの大型墳墓を測量するために向かった。7年前の1984年に発見された新徳古墳1号墳だった。古代日本特有の前方後円墳、つまり前方は四角で後方は丸い、鍵穴あるいは長鼓型の墳墓形式であり、その年の朝鮮半島における前方後円墳の最初の発見事例として報告された海南長鼓峰古墳とあわせて、学界の特別な注目を集めた。しかし、7年が経過しても実測さえ行われずに放置され、学界では正体をめぐる噂だけが広がった。事情を知る博物館の人々が溜まった宿題をするかのように実測を行うために向かうと、数日前に暴かれた盗掘の穴を見つけたのだ。 (中略)

 新徳古墳には、朝鮮半島の前方後円墳のなかでは最も多くの副葬品が残っていた。博物館も盗掘後の9年間に体系的な調査を行い、相当な研究成果を確保した。しかし、30年間も報告書を出さず、出土品の展示もなかった。理由はいわゆる「倭色」のためだ。二つの山の形の模様を立てる土台を着せた金銅冠や環頭大刀、三角形の鉄帽など、韓国と日本の学界ですぐに倭系だと同意する遺物が続々と明らかになると、4~6世紀に日本を統一したヤマト政権が任那日本府を設置し朝鮮半島南部を支配したとする植民地史観の歴史家や日本の極右の主張の根拠として悪用されるだろうという懸念が生じた。朝鮮半島の前方後円墳の研究も不十分な状況であり、公開した場合、日本の学界と論戦する相手になるのは難しいという心配もあった。

 そのような事情を考えると、7月19日から国立光州博物館で行われている新徳古墳特別展「秘密の空間、隠された鍵」(24日まで)と一歩遅れての報告書の発刊は、時すでに遅しだが、嬉しい知らせだ。朝鮮半島の前方後円墳についての初の企画展を設け、出土品を学界に全面公開する場まで用意したのは、考古学史上、意義深い事件だ。学界の研究能力が成熟したことを教えてくれるものだ。 (中略)

 そのような前方後円墳が、全羅道の西南海岸で現在までに14基確認されており、中心格である新徳古墳から、なぜ倭系の金銅冠や最高級品の刀が中心的な副葬品として出てきたのかについては、論争になっている。数が少なく期間も5世紀末から6世紀初めの50年に過ぎないが、被葬者が倭系の実力者だと解釈する余地が大きい。日本の学界で、ヤマト政権が朝鮮半島に影響を行使したという推論に飛躍されることもありうる。廃棄された任那日本府説をあえて提起する学者はいないが、長鼓型墳墓の研究成果の公開は、日本の学界との解釈の摩擦を呼ぶ可能性が高い。韓国内の学界も墓被葬者をめぐり、倭人説と現地人説、百済人説が交錯している。墳墓の形と構造、中心的な副葬品は倭系だが、もう一つの手がかりであるコウヤマキ製の木棺の遺物は、百済高位層の葬法だからだ。

 博物館の展示は、もっと積極的な解釈と説明の場を設けられなかった限界も示している。金銅冠と刀と大量の土器、棺材をずらりと並べて置いている遺物報告の形式に留まっているという話だ。前方後円墳については、韓国と日本の学界での議論がなぜ大きくなったのか、任那日本府が及ぼした影響は何であるのかなどについて、歴史的な経緯を詳細に解き明かし説明していない点がぎこちない。史料不足もあるが、長期的に落ち着いてファクトを蓄積し論議していくには、大衆に前方後円墳の歴史的実情を十分に伝え、被葬者の議論を進めていくべきではないだろうか。
(引用ここまで)


 これは面白い。
 見つかってから7年間、完全に放置されていた咸平礼徳里の新徳古墳が盗掘され、慌てて調査されたものの30年間、論文も出なければ報告書すら出ない。
 副葬品が展示されたこともなかった。
 なぜなら日本の考古学者との論争が怖かったから。

 それでも今回はようやく報告書が発刊され、国立光州博物館での展示が決まったと。
 ハンギョレでは「韓国の考古学会の成熟を示すものだ」としていますが、それだったら展示の際にちゃんと「倭系の副葬品である」という解説を出すべきだと思いますけどね。
 ま、そんなことはできないでしょうけども。
 韓国では「任那日本府」は完全に消滅した、とされています。
 記事中にもそのような話がちらと出てますが。
 かつて日韓歴史共同研究委員で韓国側の研究者から「任那日本府はなかった」とする論文が提出され、日本もそれを認めた……という設定になっているのです。
 実際には日本側からは「任那日本府という名称は後世に作られたものだが、日本の実体的な影響が韓国南部に存在した」という話が出ているのですが完全に無視。


 年に1度くらいのペースで日本から「任那日本府」やその類いの話が出ると、「日韓歴史共同研究委で否定されただろ!」って言い出すというパターンが定着しています。
 控えめにいって曲解。はっきり言ってしまえば捏造です。

 ま、それはともかく。
 日本側の調査もさせてほしいものですね。
 記事の写真にあるように完全に前方後円墳。すぐ近くには韓国でおなじみの土団子墳墓もあるようですが。
 比較検討とかもできるだろうになぁ。

 実際には朝鮮半島から渡来人、帰化人が日本に来ていたように、日本からも朝鮮半島に渡っていて影響を及ぼしていたということなのですけどね。
 日本書紀、中国の正史、朝鮮半島の三国史記にも「朝鮮半島南部に倭は進出していた」と記されているように。あと広開土王碑とかも。
 すべての資料が一点を指し示しているのに、韓国だけが無視しようと努力しているのですよ。 

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韓国市民団体「アメリカの歴史教科書で韓国関連の記述は間違いばかりだ!」……「間違い」の中身をよく見てみると……

カテゴリ:歴史関連 コメント:(85)
韓国の宗教がイスラム教? VANK「アメリカの大学教科書による歴史歪曲深刻」(JTBC・朝鮮語)
バンクによると、昨年12月1日に発行されたバロンズ社の「SAT世界史の試験」3版には、百済が韓半島の南東にあり、百済の歴史は日本の歴史の一つと記述されました。

また、三国時代の期間を紀元後300年から600年までと半分以上減らして紹介し、1950年に勃発した6・25戦争は1952年に起こったと説明しているなど、10個の誤った事実が記述されています。

韓国の歴史と文化を間違って紹介したのはこれだけではありません。

同じ出版社が昨年8月4日に発刊した「AP人文地理学プレミアム」は、韓国の支配的な文化は、中国と日本文化と表記された。また、我が国の主要な宗教をイスラムと紹介されました。

他にも2017年4月カレッジボードが出版した世界史公式受験書には1875年以前の朝鮮が独立国家ではないかのように述べられ、1894年に勃発した東学農民運動を内戦と説明されました。
(引用ここまで)


 アメリカの大学生向け教科書で「韓国の歴史に関する間違い」が多数発見された……とのこと。
 んー、微妙。
 「三国時代の期間を紀元後300〜600年までと半分以上減らした」っていうのは、考古学的見地からの話じゃなくて韓国の「そうありたい史観」のものだからなぁ。
 韓国的には「百済の建国は紀元前18年、高句麗の建国は紀元前37年、新羅の建国は紀元前57年」ということになっているのですが。

 満州あたりの国としては存在していたけども南下していなかった高句麗はともかく、新羅・百済は4世紀前半の建国であることは間違いない。
 例の「楽浪郡は朝鮮半島になかった」説とリンクしている話ですね。
 中国の影響を最低限にしたい韓国人のお気持ちとしては、紀元前から朝鮮半島は韓国人だけのもの……ということにしたいのでしょうけども。
 「百済は日本の一部」という表記もちょっと……王子を人質として差し出しているところとか、まあなくはないのだけども。
 まあ、お気持ちだけいただいておきましょう。

 あと「支配的な文化は中国と日本のもの」というのも……まあ、そうなんですけどね。実際には。
 韓国人的には認められない部分なのだろうなぁ。
 「メトロポリタン美術館の展示で万里の長城が朝鮮半島にまで食いこんでいる、捏造だ」みたいな話も同様にVANKから出ているのですが。

 これも実際にそうだったとしか言いようがない。平壌のちょっと手前まで長城はあったのが確認されてます。
 ちなみにメトロポリタン美術館の展示は楽韓さんが実際に行ってチェックしてますのでそちらのレポートもどうぞ。
 韓国人には受け入れられない記述なのでしょうけども、世界の考古学的見地からはほとんど正しいのです。

 まあ、朝鮮戦争の勃発年の誤りとかは修正すべきでしょうけど。
 このあたりの間違いについては韓国への興味がそれくらいでしかない……ということでしょうね。

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