相互RSS募集中です

カテゴリ:歴史関連の記事一覧

韓国左派「李承晩は凡夫、金九こそが国父だ」……あれ、そんなにいいもんかねぇ?

韓国統一相候補「李承晩はわが国の国父ではない、金九がなるべきだった」(朝鮮日報)
 李仁栄(イ・インヨン)韓国統一部(省に相当)長官候補者は23日「李承晩(イ・スンマン)大統領が国父だという主張には率直に言って同意し難い」と述べた。

 李仁栄氏は同日の国会人事聴聞会で「李承晩政権はかいらい政権か」というパク・チン議員(未来統合党)の質疑に対し「国民による選挙を通じて政府が設立されたため、その実体的な真実を見るとき、かいらい政権という主張には距離を置いている」と述べた。

 その上で「われわれの国父は金九(キム・グ)であるべきだったという歴史認識を抱いている」と述べた。
(引用ここまで)


 「韓国の国父は李承晩」という話に対して、韓国左派は猛反発するというのがパターン。
 建国日がいつなのか、という論争にも等しいですね。
 右派は1948年8月15日であると言い、左派は1919年3月1日の独立運動こそが建国の日であるというアレ。
 韓国の左派は李承晩の建国した「南半分だけ」の韓国を認めないのです。
 だからこそ建国された日は朝鮮半島全体が独立運動を行ったとされている1919年の3月1日であるし、国父として李承晩を認めない。
 それに対して金九は李承晩の政敵であり、最後の最後まで韓国単独での選挙を認めなかった。
 朝鮮半島全体のことを考えていた人物である……というような感じですかね。

 ムン・ジェイン政権になってから金九記念館で閣議を開いたことがあるほどです。

変わらぬ過去志向の文在寅大統領 独立運動称賛(産経新聞)

 この記事の中でも「ムン・ジェインが最も尊敬する人物という独立活動家、金九」という記述がありますが。
 これはムン・ジェインにかぎったことではなく、韓国左派全体の傾向。
 あと、産経の記事には「金九は旧日本軍中尉を惨殺し投獄されたが脱獄し、三・一運動直後に上海で亡命政府「大韓民国臨時政府」に参画した」とありますが。
 これ大嘘で。
 民間人の日本人商人を「宿で自分よりも先に配膳された」という理由で殺して金品を奪って死刑判決を受けたものの脱獄、が実際です。
 韓国ではこの行為も「抗日義挙」として讃えられています。

 金九は政敵を暗殺しまくって最後には李承晩(の側近からの命令)に暗殺されたというだけの、これといって政治的な功績を残したような人物であるとも思えないのですけどね。
 「尊敬する人物は金九」という話を聞く度に、毎度毎度の違和感を感じています。
 その「李承晩によって暗殺された」という部分が評価にすり替わっているというべきか。  まあ、韓国では安重根が英雄なんだから、金九が英雄であってもなんの不思議もないのですが。

 最終的には暗殺されて人生が終わったからこそ評価されている人物なのかなぁ……というような感じですか。
 生きていたら晩節はキンキローのようになっていたんじゃないかと想像します。
 ちなみに金九を暗殺した人物は、金九を尊敬すると公言していた人物に撲殺されています。ついでにいうと、この殺人犯は金大中政権時代に恩赦をうけて1年半で出所してます。おまけにもうひとつ付け加えておくと、「金九は殺人鬼」と書いた親日派の弁明の著者に暴行したのもこの人物。

 まあ、こんなのを「国父」扱いしているのが韓国左派、という言いかたはしてもいいんじゃないかな。

韓国で「首を切られた仏像」がそこらにある理由と、ずさんな「復元」が行われている理由とは?

1400年前の百済石仏にまつわる秘密とは(朝鮮日報)
 全羅北道益山蓮洞里の石仏寺には、「胴と頭が別々」の百済の仏像がある。宝物第45号「益山蓮洞里石造如来座像」。高さ1.5メートルに達する仏身に加えて光背と台座まで備えているが、威風堂々とした体の上にある顔はどこか不自然。何者かが新しく作ってセメントで付けたからだ。

 現存する百済の仏身の中では最も大きくて古いこの立体石仏が、台座を覆っていた仏壇を取り去り、完全な姿を披露する。文化財庁は「木製の仏壇を強化ガラスに換える整備作業を来月まで実施する」と発表した。この仏身は、衣の裾が台座を覆う「裳懸座(もかげざ)」形式だが、本堂を建てる際に作った仏壇が台座を覆っており、衣の裾は見えない状態だった。

 この仏身は、百済の仏教彫刻の白眉に挙げられる。キム・ジョンヒ円光大学教授は「光背の挙身光は瑞山磨崖三尊仏に見られる百済様式で、日本の法隆寺金銅釈迦(しゃか)三尊像の光背にも現れ、百済様式が日本の飛鳥時代まで影響を及ぼしたことが分かる」と語った。

 問題は仏頭。村には、この石仏が丁酉(ていゆう)再乱(慶長の役)の際に倭軍を防いだ、という話が伝えられている。破竹の勢いで攻め上っていた倭軍が金馬面で濃い霧に遮られ、倭将はこれが仏像の威力だと信じ、刀で石仏の首を打った-というのだ。キム教授は「朝鮮王朝の抑仏政策で損なわれた可能性、自然災害で仏像が転げ落ちて首が折れた可能性もある」として「現在の顔は、1900年代に何者かが作って載せたものと推定される」と語った。
(引用ここまで)


 韓国には首の切られた仏像というものが山ほどありまして。
 李氏朝鮮時代の崇儒廃仏で徹底して仏教は弾圧され、寺院は山奥に追いやられます。
 李氏朝鮮初期は弾圧の強さはそれほどでもなかったのですが。
 というか、李氏朝鮮の初期っていうのは政治的に脆弱すぎてそんなことやっている状況でもなかったというのが実際のところですかね。

 で、多くの石仏は李氏朝鮮時代に多くは首を切られているのですよ。高麗時代には僧が特権階級もいいところで、その恨み辛みが寺に向かったとのことです。
 首の切られた仏像のすぐ下に落ちてて、椅子代わりに使われていたなんてこともあったほど。
 慶州の国立博物館とかに首の切られた仏像がいくつも飾られてます。飾られているというか、野ざらしになっているというか。
 で、「韓国の仏像には首がないものばっかりですねぇ」という話を日本人から振られると、ガイドが「秀吉が首を狩っていったのです!」って言い出して、崇儒廃仏の歴史を知っている日本人が「お前らが李氏朝鮮時代に端から切ってったんだろ」って反論すると「李氏朝鮮とはなんだ、朝鮮王朝と呼びなさい」とあさっての反論をされるまでがワンセット。
 いや、マジで。
 この記事でも倭軍が首を切ったのだ、という伝承が残っているとされていますが。
 まあ、普通に考えたら李氏朝鮮時代に切られたと考えるほうがよほど自然。

 で、こういった文物をコンクリートで補修するっていうのは韓国でありがちな手法。
 楽韓さんが韓国でレポートしてきた利川の五重石塔もコンクリートで補修された跡がありました。
 あと弥勒寺址の石塔もコンクリートまみれだったのを除去した……はずがまともな修復はされていなかった、なんてオチもありましたっけ。
 実はこの石塔の場合は崩壊を防ぐためにコンクリートを塗ったくっていたのではないかとの説もありますが。

20年かけ修復「元の姿と違う」百済の石塔、韓国で批判(朝日新聞)

 韓国の場合、復元とかじゃないのですよ。
 元の姿がどのようなものであったかを考証するとかない。
 望ましい姿に仕上げることが優先。
 もしくは東大門の修復作業のように食い物にしておしまい
 どんな風にされようとも、誰も気にしていないのでしょうね。

ムン・ジェイン一押しの「伽耶史復元事業」でも世界遺産には登録できない理由がある模様……

【コラム】文大統領の伽耶はなぜ世界遺産になれないのか(朝鮮日報)
 伽耶古墳が世界遺産の国内候補リストに名を連ねたのは2013年のことだ。故郷の金海を宣揚したがっていた故・廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と、就任したとたんに伽耶史の復元を国政課題に挙げた文在寅(ムン・ジェイン)大統領のせいで数々の誤解を生んでいるが、「伽耶世界遺産」プロジェクトは実際には7年以上の歴史を有しているのだ。それなのに、なぜユネスコの本審議どころか国内予選すら通過できないのか。 (中略)

残念だが比べてみたところ、読めば読むほどに古代王国・伽耶の登録は困難であるように思えた。記者一人だけの偏狭な判断だろうか。国民にきちんと伝えられていない事実がある。文化財庁の諮問機関である文化財委員会の世界遺産分科委員会が2019年下半期の会議でこの事案を7対1で否決したという事実だ。大統領の関心事業であるため当然通過するものと考えて祝賀夕食会を準備していた関係自治体はその日の夜、茫然自失の状態だったという。

 前述した「卓越した普遍的価値」の基準は大きく三つある。真正性、完全性、地域性。その遺産が本物で信頼できるものなのか、当初の状態に近い形で維持されているか、該当地域は保存準備ができているか、ということだ。伽耶にとっては一つ目の敷居から高かった。検証されていない主張を事実であるかのように説明して物議を醸した国立中央博物館の「伽耶本城」展示が示すように、2000年前の古代王国は依然として大部分がミステリーだ。伽耶当代の資料である中国・陳寿(233-297)の「三国志 魏書 東夷伝」には、当時、韓半島に78の国があったと書かれている。古墳群の現存は明らかな事実であるが、これが全て伽耶なのか、一部は新羅や百済なのか、もしくは全く別の小国なのか知ることができない、というのが学者たちの判断だ。2013年に暫定リストに初めて名を連ねたときは、申請自治体は金海市・咸安郡・高霊郡の三つだけだったが、17年の文大統領の「国政課題宣言」以降、地方自治体は七つに増えた。「卓越した普遍的価値」に合意するのが一層難しくなったのはもちろんだ。

 世界遺産は国ごとに毎年一つしか申請できない。各国の無分別な申請に驚いたユネスコが、18年にこのような措置を取ったのだ。その直前の2017年、ユネスコは事前審査で、朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長が全力投球していた「漢陽都城世界遺産」プロジェクトに「不記載」の判定を下した。保留(記載延期)でもなく、差し戻し(情報照会)でもない、最下位等級の「不記載」だ。600年の歴史を持つ都城とはいうものの、行政的に管理されているだけで、現代まで続く伝統と考えるのは困難だという理由だった。ユネスコはすでに韓国など数か国を要注意国として警戒しているという。
(引用ここまで・太字引用者)


 ムン・ジェイン大統領が就任直後に「伽耶史を復元せよ」と言い出してからこっち、だいぶ怪しげな「神秘の古代王国・伽耶」とかいう特別展が開催されるほどになっている、というのは既報。
 ムン・ジェインは伽耶史を詳らかにすることで、慶尚道と全羅道の間にある地域対立を和らげようとしているとのこと。
 基本無理だとは思いますが。

 2013年から伽耶遺跡を世界遺産にしようとしているという話は初耳でした。
 ですが、ムン・ジェインがあれほど推しているのに、韓国国内での検討会ですら7対1で否決されてしまうという状況。
 っていうのも、伽耶史ってどうも分からないというか。
 楽韓さんはそれなりに朝鮮史をなぞっていて、朝鮮半島の南半分が古朝鮮ではないというような地図が出てきた時にさらっと「あ、これは辰国の存在が影響している」とか言えるくらいではあるのですが。
 どうも伽耶・任那は捉えきれないというか。
 ふわっとしていて把握できない感じです。領域がよく分かっていないというのも原因のひとつかな。
 そんなものを世界遺産に登録できるわけがないだろ、ということで韓国国内の歴史学者の意向も決まっているようです。

 実際問題として遺物が出土しても伽耶のものかどうかっていうのはふんわりとしすぎてて分からない部分が多いとのこと。
 百済、新羅、高句麗あたりがせめぎあっている土地柄でしたしね。
 まあ、「世界遺産」ということになれば観光客も増えるでしょうし、ムン・ジェインの覚えもめでたくなる。
 地元としてはなんとしてでも……という意気込みなのですが、韓国の学者もさすがにこれをユネスコに出したら恥をかくということが分かっているということですかね。

 あと最後の「ソウルを世界遺産に」ってやろうとして最低評価を受け、かつ韓国がユネスコの要注意国となっているというのも草生えますね。
 いかにゴリ押しを続けてきたかという話がよく分かります。

ムン・ジェインが「伽耶史復元」を政策として提唱 → その意向に沿って開催されたイベントが忖度だらけだった件

文在寅政権の「コード」に合わせて未検証の地域・遺物も「伽耶」(朝鮮日報)
 韓国の国立中央博物館(ペ・ギドン館長)で今月2日に開幕した特別展「伽耶本性-剣と絃(げん)」を巡り、学界が騒然となっている。博物館が今年の代表展示として野心を持って準備した企画で、しかも1991年に開かれた「神秘の古代王国・伽耶」以来28年ぶりの伽耶展として話題を集めた展示だ。ところが、いざふたを開けてみると「文在寅(ムン・ジェイン)大統領が国政課題として掲げた『伽耶史復元』にコード(政治的理念や傾向)を合わせようとして大惨事が繰り広げられた」という批判が浴びせられている。 (中略)

 伽耶史研究者のある大物教授は「各自治体が伽耶史復元に熱を上げる中で、誰も彼も伽耶だと大騒ぎしている状況だが、国立博物館がこれを改めずに郷土史レベルの展示をやった」として「それぞれの自治体でにこれを政治的に利用するはずなのに、その責任をどういうふうに取る気でこんなことをしたのか分からない」と舌打ちした。これについて、博物館のホン・ジング考古歴史部長は「論争がある遺物が明らかに交じっているが、昌寧や福泉洞の古墳などは新羅と伽耶の遺物が混在し、豆腐を切るように明快に区分できない」として「広い意味で伽耶を解釈しようとした」と釈明した。 (中略)

 展示のキーワードである「共存、和合、力、繁栄」についても、強引だという評が出ている。博物館は「幾つもの伽耶が一緒になって生き(共存)、数百年間共存を守ることができた理由が、鉄(剣)を扱う技術を持っていたから」と説明する。しかしB教授は「伽耶は平和裏に共存したのではなく、個別の幾つもの独立体が互いに優劣を争い、角逐しつつ離合集散を繰り返していった」として「それを共存や和合とみるのは時代錯誤」と指摘。さらに「伽耶圏が広がるなら無条件にいいだろうと思って乗り出しているが、冷静に言えば、日帝が語った任那圏域に後戻りしつつある」として「考古学研究者は、それを自覚すらできていない」と懸念した。大物教授は「伽耶が三国にかなわなかったことは世間で皆知っているのに、次々と過剰包装しようとして引き起こされた惨事」と語った。

 この展示は来年、日本にも行く。釜山市立博物館(4月1日~5月31日)を経て日本の国立歴史民俗博物館(7月6日~9月6日)、九州国立博物館(10月12日~12月6日)を巡回する。研究者らは「1991年の伽耶展後に蓄積された研究の力量を示すべきなのに、神話レベルの展示を持っていったら、笑いものになるだろう」と語った。
(引用ここまで)


 ムン・ジェインは就任当初から「伽耶の研究をしろ」言っていたほどで、やたらに伽耶にご執心なのですね。
 というのも慶尚道と全羅道には明白な地域対立がありまして。
 一から説明するのはかなり難しいのですが、高麗時代から全羅道にあたる百済出身者は差別されていたという経緯があります。
 それがさらに朴正煕時代にブーストされて現在にいたります。

 ムン・ジェインの師匠筋にあたるノ・ムヒョンも「地域対立の解消」をお題目にして出身地の慶尚道ではなく、釜山から国会議員に立候補してたりします。釜山の市長選挙に出たこともありましたね。
 おそらくはこれを思想として継承しているのでしょう。
 「伽耶史復元」の事業を行うことで、慶尚道と全羅道の両方にまたがっていたとされる古代の伽耶のように両者の紛争は終わり、統合が為されるのではないかというムン・ジェインの政策の一環なのです。

 ただまあ、強大な権力を持つ韓国の大統領が「伽耶史復元を優先して研究せよ」なんて号令を出したらこうなるよね、という典型例を見せています。
 伽耶については文献資料はほとんどなくて、むしろ日本書紀のほうに記述が多いくらいなもの。といったわけで主な研究は発掘品の研究になるのですが。
 実際に伽耶のものであるかどうかも不明な遺物を「はい、これも伽耶」「こっちも伽耶です」って話になるに決まっている。
 で、実際にそのように忖度された展示がされている、という。

 引用はしていませんが、「三国遺事に記述のある許黄玉と首露の結婚は記録に残る最初の国際結婚」なんて紹介のされかたも「統合」や「疎通」をお題目としたムン・ジェインの意向を反映したものなのでしょうね。
 問題は許黄玉が実在の人物とはとても思えないくらいなことですか。
 16歳にしてインドからはるばる伽耶にやってきた、なんていう逸話なのですが。
 雑多な記述でもなんでも収録している三国遺事とは異なり、正使である三国史記には「この記述、絶対やらかしがあるから採用しない」って書かれてるくらいのもの。
 ちなみに韓国では「インドからお姫様がやってきたのなら、そのときにチャノキを持ってきたに違いない」とされていて、そこから「韓国には紀元50年からお茶があったのだ。日本よりはるかに早かった」なんていう主張がされていたりします。

 でもまあ、この展示が日本に来るというのであればなかなか楽しみです。
 はるか彼方の千葉は佐倉まで行くとしましょうかね。

知っていますか、任那日本府 韓国がけっして教えない歴史
大平 裕
PHP研究所
2013/9/11

韓国左派団体、「こいつは親日派だ!」と墓に向かって汚物をまいて抗議……なお、場所は戦没者をまつる国立墓地

親日派の国立顕忠院埋葬、韓国の市民団体が汚物をまき抗議(朝鮮日報)
 韓国の左派系市民団体「民族問題研究所」など複数の市民団体が6日、大田市の国立顕忠院で「反民族行為者の墓を移せ」と要求し、墓の一部に汚物をまいた。

 団体は「大韓民国のため高貴な犠牲を払った護国英霊をたたえる今日、われわれはあらためて惨憺(さんたん)たる思いを持って集まった」「日本軍憲兵で伍長(ごちょう)を務め、韓国戦争(朝鮮戦争)で虐殺を行った者たちが今この場所に眠っている」などと訴えた。

 団体は金九(キム・グ)先生暗殺の黒幕と言われる金昌竜(キム・チャンリョン)の墓や、親日反民族行為真相究明委員会が親日と発表した金錫範(キム・ソクポム)の墓など5カ所に汚物をまいたという。
(引用ここまで)

 民族問題研究所の話をもうひとつ。
 国立顕忠院というのは、独立運動家他、朝鮮戦争での殉職者や韓国軍における功労者、あるいは歴代の大統領などが埋葬されています。
 初期の韓国軍における功労者、というのはほぼすべてが旧日本軍で訓練を受けていたものになりますね。
 記事で名前が出ている金昌龍、金錫範なんかも旧日本軍出身の軍人。
 なので日本に携わった人間をすべて粛正したという北朝鮮を建国の理想とする韓国左派の「民族問題研究所」にとっては忌むべき存在なのですね。

 金九についてはあそこで暗殺されていてよかったと思いますけどね。
 あれに国家レベルの権威を持たせて放置していたら、なにをやったか想像もつかない。だけども、国としての韓国に致命傷を負わせていた可能性すらありました。あそこで死んでいてめでたしめでたし、っていう人物ですわ。あれは。
 で、金九の暗殺の黒幕と言われる金昌龍も暗殺されていて、金九を暗殺した人物も暗殺されているんだよなぁ。
 韓国の20世紀後半は暗殺に明け暮れています。
 金大中だって本来だったら拉致後に暗殺されていたでしょうしね。
 それがそのまま継続しているのが北朝鮮なのです。

 ちなみにこの大田顕忠院とは別にソウルにも顕忠院はあります。
 こちらのソウル顕忠院にカイヅカイブキ等の日本原産の木が植えられている、ということが問題になってそのすべてを植え替えるというバカみたいな事業が行われました。
 ここから「カイヅカイブキは親日の木」という話がはじまっているのですね。  歴史の主導権をどうとるか、ということに終始しているということがこのあたりからも見えてくるなぁ……。

「親日の木」とされたカイヅカイブキ、済州島の学校から一斉伐採される模様

学校のシンボル「カイヅカイブキ」は親日残滓、一斉伐採の危機 /済州(朝鮮日報)
 済州道議会は全国で初めて学校内における日帝残滓を清算することを定める条例の制定を進めている。先月30日に済州道議会に提出された「日帝強占期植民残滓清算に関する条例案」によると、教育監に対して学校内での植民残滓清算に向けた方策を取りまとめることと、実態調査などを行うよう定めている。済州道教育庁の関係者は「日帝残滓清算については賛否両論があるが、条例が成立し法的根拠が整えられれば、教育監が交代するとか、あるいは同窓会や地域で反対の声が上がったとしても、清算作業は強く進められるだろう」と説明した。

 済州道教育庁が日帝残滓に分類した項目には、日本産のカイヅカイブキも含まれている。済州道教育庁は「道内の全ての学校の中で、カイヅカイブキをシンボルにしている学校は21校あり、合計2157本が植えられている」と明らかにした上で「条例が成立すれば、親日残滓に対する調査を毎年行い清算作業を進めていく」「来年からカイヅカイブキの撤去にも力を入れたい」などとコメントした。

 光州広域市の光州第一高校は先日から校歌を見直す作業を始めている。今年に入って光州広域市と光州教育庁が「校歌を作曲した李興烈(イ・フンリョル)氏(1909-80)は親日派」との理由で校歌の見直しを勧告したからだ。李興烈氏は童謡「島の家の赤ちゃん」や軍歌「チンチャ・サナイ(真の男)」などの作品を残した20世紀を代表する作曲家だが、日帝末期に軍国歌謡を演奏、伴奏、指揮したとの理由で民族問題研究所が発行した「親日人名辞典」にその名が掲載された。 (中略)

 釜山の慶南高校も同じような問題に直面している。民族問題研究所などが2009年、校内に設置されている同校の初代校長・安竜伯(アン・ヨンベク)氏(1901-77)の胸像を撤去するよう要求を始めたからだ。民族問題研究所はこれまで数年にわたり学校前で「生徒を売国奴に育てるのか」などと書かれた横断幕を設置し抗議行動を続けてきた。最終的に学校側は昨年、胸像に安氏の親日行為に関する説明を加えることで問題を終わらせようとした。しかし民族問題研究所などは「不十分」と主張している。民族問題研究所は先月23日にも同校前に集まり「胸像を撤去せよ」と要求した。釜山教育庁も同校に「胸像を撤去するよう求める声が高まっている。今後どうするのか」と問いただした。慶南高校の関係者は「一部の関係者は学校に直接来て胸像の撤去を求めてきた」と明かした上で「最終的には胸像を撤去するようになるだろう」とコメントした。 (中略)

ソウル市内のある高校の校長は「親日派かどうかを明確に判断するのは難しいが、今市民団体や教育監たちがやっていることは、自分たちが勝手に判断し、無条件の撤去を強要しているようなものだ」と指摘した。
(引用ここまで)

 韓国の左翼がさらに幅を利かせるようになり、学校からすべての「日帝残滓」と「親日派の痕跡」を消滅させようとしています。
 これ、実は一種の自作自演なのですよ。
 「親日人名辞典」なる書籍がノ・ムヒョン時代に変遷されています。担当したのが「民族問題研究所」という左翼組織。
 ちなみに親日人名辞典には「いつでもどこでも親日派を確かめることができる」アプリ版も用意されていて、2012年にはAndrid版、iOS版がリリースされています。
 いや、本当に。

 で、その「親日人名辞典」を根拠として、民族問題研究所は各地の学校等の施設に行っては「こんなところに親日派による日帝残滓があるぞ!」として撤去を求めているのですね。
 「この辞典に載っている親日派の作った校歌は見直せ!」、と辞典を根拠にしているのですね。
 これはただのはじまりで、すでに校歌以外にも校訓、校旗、校木、記念碑、記念植樹の標石などもすべて破壊しろとされています。
 親日派の詩人が作った詩が刻まれた石碑に至っては地中に埋められることになっています。
 民族問題研究所は保守は政権だったここ10年ほどは鳴りを潜めていたのですが、ムン・ジェイン政権になってから勢いを取り戻して盛んに活動しています。
 もう韓国が保守派政権に戻ることはない、という判断なのか。
 あるいはこの10年の保守派政権であった時代の意趣返しなのかな。

 石碑を埋めた件のエントリでも書きましたが、彼ら韓国左派は親日派をすべて粛正して国家設立ができた北朝鮮に対してコンプレックスを抱いています。
 その状況に少しでも近づこうとして「すべての親日派の痕跡は滅するべし」とこんな活動をしているわけですが。
 「日本による呪いの鉄道敷設があったのでそれを取り除く」とかもそうですが、そんな後ろ向きな話よりも、韓国でやれるべきことは他にいくらでもあると思うのですけどね……。

 まあ、このあたりは利権と化しているのでしかたがない。

韓国人「日本は鉄道敷設することで独立運動家の生家に呪いをかけた」 → ではその「呪い」とやらを見てみましょう

日帝「独立運動の脈を断つ」、臨清閣の庭を横切って鉄道設置(東亞日報)
「日帝に国権を奪われると、李相龍(イ・サンリョン)先生は家族と共に満州に渡り、独立運動を繰り広げました」

先月15日に訪れた慶尚北道安東(キョンサンプクト・アンドン)の臨清閣には、団体観光客が押し寄せていた。固城(コソン)李氏の宗宅である臨清閣は、安東出身の独立活動家で、臨時政府初代国務領を務めた石洲(ソクチュ)・李相龍先生(1858~1932・建国勲章独立章)の生家だ。石洲は、「庚戌国辱」翌年の1911年に独立運動にまい進するために、家族と共に西間島に亡命するまでここで暮らした。案内する文化観光解説者は、「石洲は亡命直前、祠堂に行って神主と先祖の位牌を土に埋め、独立するまでは絶対に帰って来ないと誓った」と紹介した。

臨清閣から独立活動家が多く誕生した。石洲を含め臨清閣で産まれた9人と石洲の夫人の金宇洛(キム・ウラク)女史、孫嫁の許銀(ホ・ウン)など11人が独立有功者に認定されたほどだ。

当然、臨清閣を邪魔に考えた日帝は、蛮行を犯す。臨清閣のホームページによると、日帝は「不逞鮮人(日帝に従順でない朝鮮人)」が多く出生した臨清閣の脈を断つとし、1941年に庭を横切って中央線の鉄道を設置したのだ。これにより、玄関わきの建物と付属の建物が撤去され、99間だった臨清閣は約70間になった。今でも臨清閣では、汽車が通過すると隣の人の声が聞こえないほどだ。

「国務領李相龍記念事業会」のキム・ホテ事務局長は、「1940年代は日帝が戦争をした時だった」とし、「若者を入隊させるために(日帝に対抗した)独立活動家の家が滅びる姿が必要だったのだろう」と説明した。
(引用ここまで)

 あー、はいはい。
 「臨清閣」は韓国の独立活動家が多数住んでいた集合住宅というか……長屋のようなものですね。
 1941年に一部が取り壊されて、鉄道が敷設されました。
 99間だった建物が70間ほどになって、これが「独立活動家が住んでいた場所をわざわざ取り壊す場面を見せて、韓国人の気力を削いだのだ」というような話が定説として韓国では語られています。

 まあ、韓国で語られている、ということは当然、嘘です。
 当初この場所に住んでいた李相龍なる人物は日韓併合が公布された翌年の1911年、間島に逃げます。
 で、1925年に「朝鮮半島の国連委託統治」を提唱していた臨時政府大統領の李承晩が弾劾された際には国務領とされていたということからも「独立活動家」としてはそれなりに信頼があった人物といえます。
 まあ、その後はいつもの内紛でがったがたになってなんの意味もない組織になっていくのですが。
 だからこそ、その人物が住んでいた建物を撤去したのだ、ということなのでしょう。言い分としては。

 ただ、鉄道が敷設されたのは1941年で李相龍が間島に逃げてから30年後。ついでにいえばこの人物は1932年に亡くなっています。
 しかも、撤去したのは一部の建物に過ぎず、7割ほどが残っている。
 これが「独立運動家の住んでいた家の気脈を絶つ」という行為であるなら、合理性に欠けてますわな。
 同じような話で「朝鮮半島の気脈を絶つために日本帝国は半島各所に鉄杭を打ったのだ」として金泳三政権は国家事業として鉄杭除去をしていましたが、そのほとんどが測量杭であることが知られています。
 中には戦後に韓国人によって打たれていたものもあったという話。
 それらの杭が本当に「気脈を絶つ」ために打たれていたのだったら、それを除去した後に通貨危機によってIMF管理下に置かれた韓国ってなんなんだよって話にもなるのですが。

 で、「臨清閣」はムン・ジェイン政権になってから復元計画が立ち上げられています。わざわざ鉄道を撤去して、建物を復元してさらに記念館を設置するとのこと
 これ、要するにムン・ジェインのやっている積弊清算事業のひとつなのですね。
 多くはパク・クネ政権、イ・ミョンバク政権の政策が対象となっていますが、日帝による悪しき政策を誅するための事業なのです。
 さらに、戦後もこうして独立活動家の足跡を復元せずに放置していた保守政権に対する積弊清算でもあり、「韓国の建国は1910年の独立運動に遡る」(≒戦後の保守政権は建国したわけではない)というムン・ジェインの主張を補強する事業でもあるというわけですね。
 今朝のエントリでも書いたように積弊清算の御旗の下であれば、この政権はなんでもできるのですよ。
 鉄道を最短距離でなく移設するなんて朝飯前ですね。

韓国テレビ番組「三・一独立運動の英雄、柳寛順が5万ウォンの肖像に採用されなかったのは日本に拷問されて腫れた顔の肖像画しかなかったからだ」

カテゴリ:歴史関連 コメント:(154)
5万ウォンのモデルに柳寛順が採用されなかった理由は、「拷問を受ける前の肖像画ないから?」(KBS)
先月8日に放送されたjtbc「やってみよう」では柳寛順烈士が5万ウォン札のモデルに選ばれなかった理由が電波に乗った。柳寛順烈士も候補に上がったが、拷問のために腫れている姿だけが確認されたために紙幣肖像には適合しなかったといった内容であった。

この日の放送内容は、インターネットコミュニティとSNSを介して急速に広がった。

韓国造幣公社の新製品の研究チームの関係者は「放送内容に誤解があった」としながら絵柄的に検討された肖像画が技術面での通貨で実装するには不適切という意味だと明らかにした。貨幣も中には目鼻立ちが整った肖像画が必要で柳寛順烈士の場合には条件を満たしている肖像画を見つける困難であったという説明だ。

しかし、韓国銀行は造幣公社のような説明については、 「そのような理由からではない」と釘を刺した。発券政策チームの関係者は「柳寛順烈士ではなく、申師任堂と金九は高額紙幣の人物に選ばれたのは、当時の世論と諮問委員会の検討結果が複合的に作用した結果」とし「柳寛順烈士が選ばれなかった主な理由として肖像画を挙げることは非常に不適切」と述べた。貨幣も内部の適切な遺影がなければ、そもそも世論調査の候補として登録されることもなかっただろうと根拠を持ち上げることもした。
(引用ここまで)

 ちらっと柳寛順のことを書いておきますかね。
 かつてのニューズウィークの記事でも指摘されていましたが、三・一独立運動の首謀者ってわりと多くがチンイルパ(親日派・チニルパ)に転向してしまっているのですよ。
 独立宣言文を書いたような連中は多くが「転向」してしまっているので英雄視するのは難しい。
 まあ、それも当然で。
 独立運動を主導できるような人々は、あるていどの能力があったことは間違いないですから。
 その後、日本化が進む中で重用されても当然。
 「日帝強占期」でおいしい思いをした人間はすべてチニルパ扱いですからね。

 その点、柳寛順であれば若くして独立運動に立ち上がり、かつ獄死して殉国してしまっている。
 英雄として晩節を汚すような行為もない。活動期間も短いので新たな問題が生まれるようなこともない。
 赤穂浪士が英雄と化しているのも似たような構造だな、とちょっと思いますね。

 さて、韓国のケーブルテレビであるJTBCの番組で「柳寛順が50000ウォン紙幣の肖像にならなかったのは、日本の拷問で顔が腫れている姿しかなかったからだ」というようなトリビアが放送されたそうなのですよ。
 かつても「国家英雄としての肖像画を描き直す」という話があったのですが、その理由も「顔が腫れているから」というものだったのです。
 実際には以前の肖像画を描いた画家が親日派リストに掲載されたせいなのですけどね。

 拷問で腫れた顔……って言いますけど、それ以前の友人らと撮った画像もほぼ同じ。
 女子プロゴルファーのクリスティーナ・キム、シン・ジエ、アン・ソンジュ、パク・インビをそれぞれ混ぜたような感じですね。
 ……ま、「日帝によって拷問され、顔が変形した」ということにしているのでしょう。
 そうでないと「韓国のジャンヌ・ダルク」が成立しないという部分もあるのでしょうね。

週刊ニューズウィーク日本版 「特集:韓国 理不尽な現実」〈2014年 11/4号〉 [雑誌]
ニューズウィーク日本版編集部
CCCメディアハウス
2014/10/28