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カテゴリ:歴史関連の記事一覧

韓国の大臣候補が「楽浪郡は平壌にあった」とする歴史家を攻撃する「輝かしい韓国の歴史観」の持ち主だった件

韓経:【コラム】韓国新文化長官候補の歴史観、日本では?(中央日報)
韓国でも「膨張主義的歴史観」が問題になっているようだ。都鍾煥(ド・ジョンファン)文化体育観光部長官候補がいわゆる「偉大な古代史」を主張する「擬似歴史学」を追従しているという批判があった。単なる個人的な関心事を越え、都候補は議院活動期間に東北アジア歴史財団の「北東アジア歴史地図事業」の取り消しに率先した。

都候補は歴史学界が文献と考古学資料を証拠に通説としている楽浪郡平壌(ピョンヤン)説を「植民史観」だと攻撃した。国会に歴史学者を呼び、歴史学の基礎である「史料批判」も認めず魔女狩り式の攻勢も見せた。

妄言を繰り返す日本の右翼とアジア全域が韓民族の領土だったというような主張をする擬似歴史学信奉者は、客観的な根拠もなく「偉大な民族史」を強調し、膨張主義を叫ぶという点で軌を一にする。

もし日本が「任那日本府は『日本書紀』にあるため歴史的事実だ」と主張する人物を文部科学相に任命すればどうか。また、東北工程を主張する人物を中国政府が重用すればどうか。我々から正しい歴史観を備えてこそ、周辺国の歴史歪曲と妄言を批判できるのではないだろうか。
(引用ここまで)

 おや、「文化体育観光部」の長官候補が例の「輝かしい史観」の持ち主だそうですよ。
 いわゆる「中国の植民地である楽浪郡は遼東に存在しており、平壌周辺には存在していなかった」とする説をとる人々のことなのですが。
 つまり、現在の平壌周辺も含めて朝鮮半島は古代から(檀君朝鮮の時代から)韓国人が支配してきた、という史観なのです。

 この「輝かしい韓国」説をとる人々にとっては、楽浪郡が平壌周辺に存在していたという説は、日本によって支配されていた時代に流布された説ということになっています。で、そんなものを信じるのは「植民史観」であるとして攻撃の対象になるのですね。
 記事中に歴史学者を国会に呼んで攻撃したとありますが、国会でも論争になったりしているのです。
 自由韓国党の議員にも同じような史観の持ち主がいます。
 ちなみに平壌周辺からは楽浪郡のあった証拠として遺物が山のように出てくるのですが、それは古代の韓国人が遼東にある真・楽浪郡から奪ってきた戦利品であるという設定になっています。 
 ムン・ジェインは親日清算を公約に掲げていましたが、こういう部分ではどう整合性を取るのでしょうかね。

 韓国人の中でも若手の歴史学者なんかはそういった観点的な歴史観をやめてくれという運動をして、「輝かしい民族説」をとる人々と激しい論争になっているのですけどね。
 それに対抗して「未来へ向かう正しい歴史協議会」なんてものが作られています。正しい歴史協議会……ですから。

 文化体育観光部は日本でいうところの文部科学省の体育行政部分と観光に関する部分を文化庁に足したような省庁ですね。平昌オリンピックの担当省庁でもあります。
 その長官(大臣)がこの史観の持ち主であるということは、韓国政府の公式史観として認定されるんでしょうか。だとしたら面白いんだけどなぁ。

韓国の「広告の天才」が作った「日本の歴史歪曲に反対する」ための作品をご覧ください……天才?

韓国・慶尚北道-イ・ジェソク広告研究所、日本の独島わい曲対応のための広告物公開(中央日報)
「広告の天才」イ・ジェソク氏が独島(ドクト、日本名・竹島)に目を向けた。慶尚北道(キョンサンブクド)はことしに入って日本の独島挑発が続くと、独島わい曲に積極的に対応するためにイ・ジェソク氏(35)と協力することを決め、初めてとなる作品を19日に公開した。慶北道とイ・ジェソク広告研究所は22日、島根県が主張する「竹島の日」に対応して開かれるソウル光化門(クァンファムン)広場の独島守護汎国民誓約大会に合わせて海外配布用の広告物草案2点を公開した。

白黒写真とステッカーを組み合わせたポスター型広告の下には、「YOU CAN HIDE IT.BUT YOU CAN'T ERASE IT(歴史を隠すことはできるが、決して消すことはできない)」というメッセージを大きく表記した。この広告は独島領有権についての直説法の代わりに、歴史問題に関連した政治家の妄言と歴史教科書わい曲等を暗に言及している。日本のわい曲された歴史観と反省しない態度を国際社会に告発することによって、独島に対する日本のごり押し主張を封じ込めるという戦略だ。

慶尚北道とイ・ジェソク広告研究所は独島問題がこれ以上韓日だけの問題ではなく、世界平和を脅かす国際問題であるということを広めていく計画だ。金寬容(キム・グァンヨン)慶尚北道知事は「韓国が厳しい局面にあるごとに独島侵奪野心を露骨化する日本の仕業を全世界に知らせなければならない」と話した。独島広告を企画・制作したイ氏は「独島は銃声のない戦場」とし「韓流ブームの主役として、文化コンテンツ強大国である韓国を代表する広告人として、広告だけは日本に遅れを取ることはできないという覚悟で制作に臨んだ」と感想を明らかにした。
(引用ここまで)

 それでは件の広告とやらを見てみましょう。
 中央日報日本語版では1枚だけですが、記事中にあるように2枚あります。

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 画像は中央日報韓国版の記事から。
 小学館、ポケモンカンパニー、任天堂、ソニー、サンリオのライツ部門を敵に回すかぁ……。どこまで戦えるのか見ものですね。とりあえず何社かには連絡しておきましょう。
 ……まあ、パクリというか著作権侵害以前にセンスの問題でアレですが。
 このていどが「広告の天才」なのだから苦笑するしかないというか。

 自治体が観光目的でポケモンを無断使用してポケモンカンパニーに抗議された前例とかあるのにねぇ……。

 ちなみに「韓国人の反応」は「あなたこそ真の愛国者」とか「広告レベルが違う」とか絶賛の嵐。
 出すほうのレベルと受け止めるほうのレベルが均衡しているんですね。
 あとピカチュウの顔が妙なんですが、著作権対策なのかなぁ……。

プライベートからビジネスまで 60分でわかる! 図説 著作権 (ディスカヴァー携書)
中川勝吾 
ディスカヴァー・トゥエンティワン 
2011/12/15

ソウル大教授「韓民族は移住者ではない。半島から生まれたのだ!」

カテゴリ:歴史関連 コメント:(200)
「韓民族はどこから来たのか」 韓国社会史研究の大家が導き出した答えは…(朝鮮日報)
 韓国社会史研究の大家、ソウル大学社会学科のシン・ヨンハ名誉教授(80)が、『韓国民族の起源と形成研究』(ソウル大学出版文化院)を出版した。シン教授は、還暦を過ぎて集中的に掘り下げてきた韓民族のルーツに関する自らの研究を集大成し、韓国民族が5000年かけて歩んできた履行と進化と発展の過程を、社会学的観点から解釈した。

 韓民族の起源については、北から韓半島(朝鮮半島)に入ってきたという学説が支配的だ。どこからやって来たかについてはバイカル・カフカス・アルタイ・モンゴル・シベリア・中国北部などさまざまな見解があるが、ユーラシア大陸を出発したという点は共通している。しかしシン教授は「韓国民族の祖先が『空いた場所』だった韓半島に入ってきたという既存の学説は、歴史的事実と一致しない。韓民族の胎動の地は新義州以南の韓半島だった」と主張した。

 シン・ヨンハ教授は、地理的・気候的環境が歴史に及ぼす影響を重視するフランスのアナール学派の研究方法論を借用した。人類の発生地たる東アフリカから出発してユーラシア大陸に入った旧石器人は、およそ5万年前に最後の氷河期がやって来たとき、凍土にならない北緯40度以南の洞窟に入った少数だけが生き残った。東アジアで石灰岩の洞窟が最も多い韓半島に集結した人々は、およそ1万2000年前、気候が温暖になると洞窟から出て新石器時代を開いた。この人々は食料を求めて散らばり、韓半島に残った鳥のトーテムの韓族、遼西地方に進出したクマのトーテムの貊(ばく)族、遼東地方に定着したトラのトーテムのワイ(さんずいに歳)族と大きく三つに分かれた。

 およそ5000年前、遼西地域の降水量が急減したため、貊族は再び韓半島北部へ移動して韓族と婚姻同盟を結び、ワイ族も自治権を持つ侯国としてこの同盟に加わった。韓族の君長と貊族の女族長の間に生まれた檀君が都邑(とゆう)を阿斯達に定め、東アジア初の古代国家・古朝鮮を建国した。韓国民族の「原民族」は韓・貊・ワイの3部族が結合したものという説もまた、従来の学説とは異なる。シン教授は「前近代には中国人、近代には日本人が韓民族の起源について枠組みを定め、かなり歪曲(わいきょく)があったので、基準の枠組みを完全に変えてしまわなければならない」と語った。

 古朝鮮は2000年以上の長期にわたって続き、共同体としての結合が強固になった韓国の原民族は、古朝鮮が滅亡した後、馬韓・辰韓・弁韓・扶余・沃沮・高句麗・百済・新羅・加羅・耽羅など列国時代を開き、これが三国に整理されて統一のための主導権争いを繰り広げた。韓国の「前近代民族」の形成時期については、新羅の三国統一と考える見解と、高麗の後三国統一と考える見解に分かれている。シン教授は「新羅の統一で前近代民族の核心たる国民・領土・言語・文化の共同性が事実上完成し、高麗の統一と渤海遺民の吸収で最終完結した」とする「2段階形成論」を唱える。
(引用ここまで)

 ……ああ。
 先日、シンシアリーさんが書いていた「韓国民族の起源と形成研究」はこれかあ……。

「韓民族は自生した。移住民ではない」(シンシアリーのブログ)

 新義州は現在の北朝鮮の北方国境の南端。
 地図上では北朝鮮の左上端にある中朝国境の街です。つまり、「新義州よりも南で韓民族は誕生した」ということは、北方からの進入はなく朝鮮半島だけで韓民族は生まれたのだ、という主張に他ならないのですね。

 この部分にかぎらず、全体としてなにを言っているのか分かりにくいので、ちょっと箇条書きにしてみましょうか。

・旧来の説では中国方面から韓半島に入ってきた人間が韓国人の先祖となっている。
・しかし、それは間違いだ。
・旧石器時代に孤立した少数の旧石器人が生き残り、そのまま新石器人になったのだ。
・そして彼らが古朝鮮(檀君朝鮮)を建国した。
・さらにそこから三国時代に入り、そのまま近現代につながっている。

 ざっくりと「韓国人は韓国だけから発生し、中国はそれに関与していない」と言っている説です。
 つまり、箕氏朝鮮と衛氏朝鮮も無視し、檀君朝鮮からリニアに三国時代に入り、統一新羅、高麗、朝鮮といった国になっていったのである、と。
 韓半島は韓国人だけによって国が生まれて、歴史が育まれていったという史観です。

 中国による「朝鮮半島(特に北部)の歴史は中国の地方政権である」という東北工程に対するアンチテーゼのような説になっているのが特徴です。
 韓国においては中国の紅山文化=遼河文明を韓国のはじまりと連結しようという動きもあるのですが、それすらをもぶっちぎっている。
 いわば純国粋主義の考えかたですね。

 韓国の中でもかなり異端な説であると思いますが、どんな感じで受け止められているんでしょうかね。
 少なくともダウムやNAVERのコメントでは「バカらしい」「地面から湧き出たってことか(笑)」みたいなものが多いのですが。
 時代がゆらぐと民族的アイデンティティーもゆらぎ、こういう国粋主義的な考えが蔓延するのかな。

日韓がタブーにする半島の歴史(新潮新書)室谷克実
新潮社
2010/3/31

韓国人「18世紀になるまで韓国では車は用いられなかった」 → 歴史研究家「高句麗の古墳壁画を見てみろ!」

【寄稿】韓国小説・ドラマの歴史歪曲は犯罪レベルだ(朝鮮日報)
 歴史小説や歴史ドラマの歴史歪曲(わいきょく)問題は、昨日今日始まったことではない。歴史ドラマが放送されると、ドラマの主人公を取り上げた歴史小説も争うように出版される。脚本の基になった小説は再版され、放送に合わせて急いで書かれた本も出てくる。 (中略)

 高句麗の大武神王を主人公にした歴史小説を読んで、あきれてしまった。夫余の将帥が身分を明かせと言うと「われ、大武神王!」と言い返す場面があった。大武神王とは死後にささげられた尊号であって、生前用いられた称号ではない。また、ある歴史小説では「来週見よう」というせりふが出てくる。1週間という単位が登場するのは、キリスト教が入ってきた後の話だ。(中略)

また、伽耶史を扱った歴史小説に「韓国では18世紀まで、いかなる車も使ったことがない」という記述が登場したが、全くでたらめだ。あまたの高句麗古墳の壁画に登場する多くの車を、この作家は本当に一度も見たことがないのだろうか。
(引用ここまで・太字引用者)

 車が描かれている高句麗古墳の壁画、というのはたとえば舞踊塚古墳の壁画です。
 ただし、この舞踏塚古墳があるのは中国吉林省。
 広開土王碑のある場所にほど近い。世界遺産の「高句麗前期の都城と古墳」のひとつです。登録はもちろん中国政府からの申請によっています。

 韓国どころか北朝鮮ですらない。
 高句麗の最大版図は韓国の一部にも及んでいるので、なんとか韓国の歴史の一部という言い方ができなくもない……気はしますが。
 微妙なところ。

 さすがにこれは万能壁画のことを言っているのではないと思いますが(笑)。
 それに加えて「韓国では18世紀まで~」というのはおおよそ李氏朝鮮のことを言っているのでしょうね。
 考えてみると大八車くらいのものにしても作るのはかなりの職人芸。
 車軸となる木をまっすぐ削って、空回りしないように車輪に留めるというだけでけっこうな作業量。メンテナンスも考えればなおのこと。
 職人が最悪の職業として扱われていた李氏朝鮮ではできなかった、ということを言いたいのでしょう。

 その反論が「高句麗の古墳壁画」っていうのもどうなんだかな、という気はします。
 それ以上に韓国で「18世紀まで車が存在しなかった」と書けることにちょっとびっくりしてたりするのですけども。

なんと70%ポイント還元中。
本当は怖ろしい韓国の歴史
豊田隆雄
彩図社
2015/2/10

韓国国定教科書「古朝鮮は中国東北部にまで広がっていた! しかし……」

北朝鮮だけ古朝鮮の地なのか、国政歴史教科書文化の範囲の地図議論(ニューシス・朝鮮語)
韓国が古朝鮮と関係のない地域になってしまった。

1月31日に公開された国定歴史教科書最終版中学校歴史①38版と高校の韓国史27版に収録された「古朝鮮の文化の範囲の地図」で、韓国韓国地域が古朝鮮の範囲から除外された。

中学校の歴史①では黄土色、高校韓国史ではシアンで古朝鮮の文化の範囲を示した。韓国地域は桜色である。「古朝鮮の文化の範囲」の根拠は琵琶形銅剣とテーブル式ドルメンなどの分布地域であることが教科書で説明されている。

最終版の地図を見ると、韓国の地域にも琵琶形銅剣と細形銅剣、テーブル式ドルメンが明らかに分布している。それでも古朝鮮の文化の範囲とは異なる色で韓国の地域を塗っている。文化的に古朝鮮地域と韓国地域は別であり、関係がないという意味である。

文化の範囲の基準となるドルメンなどの証拠が韓国地域にあるにも関わらず、国定教科書製作陣が意図的に韓国地域を古朝鮮の範囲から除外させた理由は記述されていない。

パク・デジョン大鐘言語研究所長は「たとえ文化範囲を示したものであっても、これらの文化的38度線のある古朝鮮の地図は周辺国に口実を与える可能性が高い。したがって国史編纂委員会は、現場の学校に配布する前に、必ずその正当な理由を説明して国民を納得させなければならない。そうでなければ「正しい歴史教科書」ではなく「歪曲された歴史教科書」という汚名を避けることは困難だろう」と指摘した。
(引用ここまで)


 上の地図は「古朝鮮の広がり」として韓国政府が作っている国定歴史教科書に掲載が予定されているものです。
 色のついている部分が「古朝鮮」の版図で、その根拠はテーブル型ドルメンと琵琶型銅剣、細型銅剣の出土となっています。
 古朝鮮の版図は旧満州のあたりまで広がっています。でも、朝鮮半島南部には色がついていない。
 「韓国は古朝鮮ではないのか」というクレームが国定教科書についている、ということです。
 実際、地図には銅剣の出土もドルメンの存在も朝鮮半島南部に描かれていますね。
 だけども、「古朝鮮の版図」には含まれていない。

 これはちょっと説明が必要な部分が大きいかな。
 「古朝鮮」と一口に言いますが、檀君朝鮮、箕氏朝鮮、衛氏朝鮮の三時代をまとめて古朝鮮と呼んでいるのです。
 ただし、韓国では箕氏朝鮮、衛氏朝鮮は中国人王朝であるとされていることから「栄光の韓民族が持つ半万年の歴史」にふさわしくないということで、その存在を半ば以上無視されているのです。
 たとえば衛氏朝鮮の始祖である衛満のことを中国人であると教科書に記述しないというような方針をとっています。

 檀君朝鮮は栄光ある韓民族の祖先であるけども、箕氏朝鮮、衛氏朝鮮は認めない……という複雑な状況なのですね。
 檀君はもちろんのこと、箕氏朝鮮も存在があやふやな王朝なのですが。確実に存在するのは衛氏朝鮮から。でも、中国人王朝だから認められない。
 北朝鮮だと衛満が朝鮮人であるということになっていたはずです。

 で、その一方で辰国という国がありまして。
 古代の朝鮮半島南部は当時の朝鮮半島の人々によって建てられたこの辰国が治めていた、という説があります。
 辰国は実際に国だったのかどうかという疑惑もあり、都市国家というよりもただの邑単位だったんじゃないのというくらいにろくな記録がないのですが。
 素直に見てしまうとまだ朝鮮半島南部にまでは「国」を形成できるほどの人口がなかったのではないか、記録するほどのものがなかったのでは、という感じなのですけどね。
 まあ、辰国というものがあったとされているのです。ちょうどいまの韓国のあたりに。

 この地図は韓国人の持つ──
「古代の韓民族は中国東北部にまで版図を広げていた」
「箕氏朝鮮、衛氏朝鮮といった中国人王朝には韓国は侵されていなかった」
 ──という相反する韓国人の感情を満足させるためにねじ曲がっているのです。
 いわゆる中国が推し進めている「古代の朝鮮半島は中国人によって治められていた」とする東北工程に反抗するためのものでもありますかね。
 韓国ウォッチャーにとってはなかなか興味深い地図ですわ。

古墳の古代史 ──東アジアのなかの日本 (ちくま新書)
森下章司
筑摩書房
2016/9/10

韓国人「韓国の歴史書を正しく改編して新しい底本を作っちゃおう!」 その行為の奥にある恐ろしさとは?

慶尚北道「三国遺事」木版化事業、専門家らが討論会(朝鮮日報)
 まず、三国遺事木版事業の諮問委員長を務める盧重国(ノ・ジュングク)啓明大学名誉教授(韓国古代史)が、基調発表で「三国遺事慶尚北道本は朝鮮王朝初期本を底本として、書写・板刻・印出の過程で発生した誤字・脱字や欠けた部分を正し、国名・王名を補完し、年号・干支を一致させるなど体系と統一性を付与するもの。制作過程で生じた誤りを修正するだけで、著者・一然僧侶の編さん意図はそのまま表すというのが大原則」と語った。三国遺事に引用された資料の原文を木版に反映させ、必要ならば10行21字という木版のスタイルを変更して、115枚という木版の数も増やすことがあり得る-という当初の方針は撤回したと語った。木版の原型はそのまま維持して、原文と対照した結果については、現在判読が不可能だったり明白に誤っていたりする部分のみ反映し、大部分は訳注作業に反映するという。

 三国遺事をかなり改めて「完成本」「定本」を作ろうとしていた構想が「校勘本」へと大きく方向を変えたことに伴い、5日の討論会は、慶尚北道本を木版化すべきかどうかに焦点が合わせられた。出席者の多くは、木版化に否定的だった。河日植(ハ・イルシク)延世大学教授(韓国古代史)は「学習や研究に役立つ新版本を作るのなら、分量の問題があるので木版に刻むのは不可能」と語った。林在海(イム・ジェヘ)安東大学教授(民俗学)は「一然僧侶の精神を継承するのであれば、三国遺事の現場を調査して写真に撮り、eブックにするのがいい」と語った。
(引用ここまで)

 うーむ。韓国人が大好きな「正しい歴史」というものが透けて見えてくるお話です。
 ちょっと恐ろしい話なのですが……うまく伝える自信がない。

 三国遺事は史書の一種でして、正史の三国史記に対して伝承等を含めた雑多なものを取り上げているのが特徴です。
 檀君神話を取り上げていることもあって史書としてはかなり怪しげなものなのですが、資料的価値は高いので三国史記を補佐するような立ち位置の歴史書ですね。

 古い本ですから、写本で書き間違いや欠字等があるわけです。研究でそれを補おうといういうのはまっとうな考えなのですが。
 その研究を元にして木版本を新たに作り、「正しい三国遺事」を作り上げてしまおうとしていたのですね。

 韓国では日本に対してなにかというと「正しい歴史認識」を求めてくるのですが、彼らの中には「唯一無二の至高の歴史認識」というものが存在するのですよ。
 で、そのためであれば新たな底本を21世紀に作ってしまっても構わないという考えなのですね。 
 彼らのいうところの正しい歴史のためであれば、その他のものは切り捨てても構わないという認識が透けて見えているのですよ。
 自らの国定歴史教科書に「正しい歴史教科書」と名付けてしまうのも、「韓国には輝かしい歴史があった」という嘘を広めるための学会に「未来へ向かう正しい歴史協議会」って名付けるのも根っこは同じ。

 さすがに「間違っている王の名前や干支を補正して完全に新しい木版本」を作り上げるという作業自体は撤回されたようですが。
 こうした野望を韓国人が持っている、ということを日本人は認識しておいたほうがいいのですよね。
 ……歴史好きじゃない人にはいまひとつ、この恐ろしさが伝わっていない気がするなぁ。

本当は怖ろしい韓国の歴史
豊田隆雄
彩図社
2015/2/10

パク・クネのせい(?)でソウル市が朴正煕の銅像設立を拒絶……市長の政治志向の問題じゃない?

ソウル市「光化門に朴正熙元大統領の銅像認めない」(中央日報)
一部保守団体がソウルの光化門(クァンファムン)広場に朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領の銅像設置に乗り出したのに対し、ソウル市が反対の立場を示した。

「朴正熙元大統領誕生100周年記念事業推進委員会」は2日に「光化門広場に朴元大統領の銅像を設置する」と明らかにし議論を呼んだ。

崔順実(チェ・スンシル)ゲートで朴元大統領の娘である朴槿恵(パク・クネ)大統領に対する批判世論が深刻な状況で銅像を立てるのが正しいのかという指摘が提起された。

これに対しソウル市都市再生本部関係者は「光化門広場に朴正熙元大統領の銅像を立てるのは広場を作った趣旨から外れる」と明らかにした。同関係者は「市民の支持がなければならない側面もある」と説明した。

光化門広場に造形物を設置するにはまずソウル市開かれた広場運営市民委員会の審議を経なければならない。

委員会は昨年報勲処が推進した光化門広場内の大型太極旗設置を否決したりもした。

当時報勲処は行政協議調停委員会に調停を申請するなどの努力を傾けたが、結局断念に追い込まれた。
(引用ここまで)

 現在のソウル市長はパク・ウォンスン。
 極左です。
 どのくらい極左かというと、「女性国際戦犯法廷」で検事をやっていたくらいに極左。ウルトラスーパーデラックス極左。
 親北反日。なんだったら反韓国。

 そんな人物が首長をやっている自治体で、保守の神様といってもいいような朴正煕の銅像をソウルの中心地に建てることを許すのかって話ですね。
 それも光化門広場。
 つまり、世宗やら李舜臣と同じ場所に設置されるのですよ。ついでにいえば、セウォル号遺族会と同じ場所でもありますが。

 極左の首長が、保守側の独裁者に対して英雄扱いを許すのかということなのです。
 今回のパク・クネの問題どうこうではなく、朴正煕の英雄扱いを根本的に許さないだろうってことですね。

日本の心は銅像にあった (扶桑社BOOKS)
丸岡 慎弥 / 渡部 昇一
扶桑社
2015/6/29

韓国人「七支刀は百済が倭に下賜したもの! 銘文は百済の独自年号!」……百済の独自年号なんてどこにも証拠ないよね

カテゴリ:歴史関連 コメント:(110)
「賜物」「献上品」か百済七支刀をめぐる韓日論争(東亞日報/朝鮮語)
「有史以来、このような刀はなかった(先世以來夫有此刀)」

日本の石上神宮に保管された百済の七支刀は、表面に刻まれた銘文のように外見から前例を見つけることができない宝物である。古代韓半島と日本の関係を説明する重要な資料として、1874年の再発見以来、100年以上両国で集中的な研究対象になった。しかし、製作時期や目的、両国間の力学関係まで多くの部分がまだ謎として残っている。 21日に開かれ、東アジア比較文化研究会の「七支刀の新しい理解」国際学術会議では、日韓間の見解の違いがそのまま明らかになった。

日韓古代史研究の権威であるキム・ヒョング高麗大名誉教授は、会議ので「七支刀研究では、百済が日本に優位を占めたかが重要な争点のひとつ」と述べた。簡単に言えば、百済皇太子が七支刀を倭王に下賜したのか、それとも献上したのかという議論である。これは両国の民族主義感情と結びついて自国中心の論理で展開されてきた。同じ銘文を巡って韓日の学者たちの解釈が分かれる理由の一つだ。

例えば七地図の制作年度を明らかにした「泰○四年○月十六日丙午」(○は毀損でわかりにくい部分)という銘文をを巡って日本の学界は日本書記の七枝刀の記録(神功皇后摂政52年)に合わせて「泰○」を、中国東晋の年号(泰和)とみなす。百済が独自年号を使わなかったと見られている。これによると泰和4年は近肖古王在位期間である369年になる。

しかし、369年としてみると銘文の後ろの日干支と当てはまらなくなる。その年のカレンダーで16日に丙午となる干支の日付がないという話だ。日本の学者たちもこの点を認識して複数の文書を探した最後に、いわゆる「吉祥句説」を持って出てきた。中国漢ワンチュンウイ論衡などでめでたい日を強調しようとして丙午ではない日付であっても丙午と表記した事例があるということだ。この日の主題発表に出た木村誠日本首都大名誉教授は「銘文の日付は、単純な作成日だけでなく、象徴的な意味がある」と主張した。

しかし、いくつかの月何日まで具体的に指摘している銘文形式を表示するときに日干支を合わせていないのは不自然だという意見が提起されている。これにより、4~6世紀の連帯の中で、16日が丙午の日付を探してみると七支刀製作時期は369年ではなく、腆支王4年(408年)が有力であるという説が韓国の学界を中心に提起されている。この見解は、「泰○」を百済の独自年号とみなす。ホンソンファ建国大教授は「楷書によると、百済が東晋に初めて使者を送った時期は372年正月」とし「国交が樹立される前に百済王が七地図に東晋の年号を刻んだ例は難しい」と主張した。しかし、武寧王陵砥石など、これまで発見された百済金石文で独自年号が見えないのは限界という指摘も出ている。
(引用ここまで)

 七支刀が倭へ下賜されたものなのか、倭への献上物なのかって話ならまあ献上物なのでしょうね。
 下賜するものを一品もので行うというのも変な話ですし。
 韓国人は「刀を渡すのは下賜だろう」って言いますが、どう見ても刀ではない呪術的な祭器だもんなぁ。

 日中韓、ありとあらゆる資料が百済は倭に対して人質を送り、朝貢していたことを示している。
 韓国人は「百済は仏教を教えたのだ! 文化的に上位的な存在だったのだ!!」とかいいますが、これも記紀を読むかぎりは「素晴らしい教えがあるので日本にお持ちします」くらいの勢いなのです。
 そういった構図の中で「七支刀を下賜した」というのはまあちょっと歴史的な状勢と合致しない。

 でも、広開土王碑文と同様になんとか韓国ではその事実を否定したい。
 倭=日本が古代から朝鮮半島に対して優勢であったというような事実を認めるわけにはいかないのですよ。
 なので「百済の独自年号が刻まれているのだ!」とか言い出してしまう。
 銘文に独自年号を使っているということになれば、下賜したものであるという強い証拠になるという考えなのでしょうね。

 問題は「百済が独自年号を使っていた」という証拠が一切ないということくらいなものです。
 国際的なやりとりであることを考えれば、当時の標準時的な扱いである中国の年号を使うことはなんら不思議ではないのですが。

 「古来、韓国は日本の上にあった」というイデオロギーから逃れられない以上、韓国の研究者はそれ以上の結論を出すことはできないのだろうな、と感じます。

日韓がタブーにする半島の歴史(新潮新書)
室谷克美
新潮社
2010/3/31