6・25戦争の開戦から72周年となる25日、韓国与党・国民の力の李俊錫(イ・ジュンソク)代表や安哲秀(アン・チョルス)議員など同党幹部らが慶尚北道多富洞の戦跡記念館で行われた故ペク・ソンヨプ将軍(1920-2020)死去2周年追慕式に出席した。李代表は追慕式で「文在寅(ムン・ジェイン)政権で将軍を送り出したためこれまでできなかった礼遇は、今日を期してわれわれ国民の力と尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権で行えるよう配慮したい」と述べ、安議員は「ペク将軍は今の大韓民国が存在できるようにした英雄だ」「われわれ子孫たちが大韓民国の平和と韓米同盟を堅く守りたい」との考えを示した。 (中略)
今回の追慕式では韓国軍から軍楽・儀仗(ぎじょう)隊が出て支援した。出席者も昨年の3倍に達したという。
尹大統領は6・25記念日にフェイスブックを通じ「今日、われわれが享受している自由と平和と繁栄は韓国軍および国連参戦勇士の犠牲と献身の上に成り立っている」「平和は屈服によって得られるものではなく、強い力で守るものだ」との考えを示した。
(引用ここまで)
あー。
ペク将軍が亡くなった際に「あと2年生きて政権交代後に亡くなっていたら扱いが全然違っていただろうに」とは思ったのですが。
ここまで変わるか。
もうすでに大田の顕忠院(韓国の国立墓地)に葬られていますが、いまだったらソウルの顕忠院に葬られていたでしょうね。
というか、政権によってここまで対応変わるんだ……って感じです。
ようやく英雄にふさわしい扱いがされるようになったというべきですが。
あまりにも扱いが異なりすぎる。
2年前、亡くなる直前には「顕忠院に入っても墓が暴かれるかもしれない」くらいの扱いでしたから。
左派にとっては「元日本(満州)軍人」が朝鮮戦争での英雄だったという事実が、目の上のこぶだったのがよく分かります。
その一方でここまで「国家の英雄」として扱っているのも、そうした左派からの扱いを覆すためではないかと思われます。
すなわち、一種の政治報復ではないかと感じられるのです。
ちょうどムン・ジェインがイ・ミョンバク政権の推進した資源外交を根こそぎ覆したように、です。
ペク将軍はそうした政争の具として使われるような人物ではないはずです。
でもまあ、ムン政権のように尊重されないよりはこうして尊重されるほうがいいに決まってはいますけどもね。
Twitterで更新情報をお伝えしています。フォローよろしくお願いします。→Follow @rakukan_vortex